Wednesday, 05 March 2008

出戻ったVo.

ほんとに人畜無害な小ネタを書いてみよう。

先日街でふと聴いた、昔のディープ・パープルのライブ盤。

ジョン・ロードが正に鍵盤の神だったと書いたアレです)

ブラックモア御大のギターはいつも通りとしても、ボーカルが特筆に値する出来だったのですが、その時は

「ああこの声って、何か一回大喧嘩して出てって、出戻った人だよな」

…と思ったきり、名前までは思い出せませんでした。

そもそも、「大喧嘩して出て行った巧いボーカル」という手がかりだけでは、人物が特定できないバンドです。

昨日ようやく思い出したのですが、あれはイアン・ギランでした。曲もギラン在籍時代のシングル、「パーフェクト・ストレンジャーズ」でしたし。

特に大ファンだった訳ではないバンドについて、こうやって色々思い出したりできるのは、ギフテッドである余禄かも知れませんね。

(3/5 21時 ギランさんが出て行ったのは一度じゃないことを知り、適宜修正しました。調べてから書こうよ自分。)

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Thursday, 10 January 2008

未だにナゾ(+書き足し)。

時々ベタっとしたコメントが残されていくたび、対処法を考え込んでしまう。

正直言ってpoliteという人については、何故あんなにベタベタしてきたのか、未だにナゾだ。(変な人には遠隔視を使いたくないので、本当にナゾのまま。)

私もしつこいようだが、

この御仁のまるで幼稚園女児のような甘えや駄々や、IPアドレスがアクセス解析に出続ける事には、心底から不愉快な気分にさせられたし、理解に苦しんだのだ。

アレルギー気味になっても仕方ない。

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Monday, 10 December 2007

体育会系のイトコとワタシ

ちなみに先日の記事の叔母の所のイトコは、全員、かなりの速さでフルマラソンを走るような体育会系です。

女子でも月300kmを走りこむのはデフォルトという感じ。

今では管理人との共通点と言えば、多少の怪我では泣き言を言わない所くらいかな。

年下との間にさえ、身体能力に天と地くらいの落差ができてしまって正直恥ずかしいですが、まあ、去年から今年にかけて(一時、身体を壊しましたが)かなり走れる程度には回復したし、

ゆっくりとでも、着々と追い付きつつあるから、現時点ではこれで良しとします♪

というか最近調子が良くなってからつくづく、例えば去年の自分が、どんなにガタガタだったか気が付いてゾッとしたりしています。去年は去年で、たしかに「近年になく調子がいい」と思っていたはずなんだがなあ。その前の年も、その更に前の年も。

何年も続いていた「これ以上無理をしたら、自分、心臓が麻痺して死ぬぞって感じ」が、いつの間にか消えてくれて嬉しいです。

お医者様から「働いたら駄目です」と言われ続けた過去は伊達ではなかったらしいよ自分(自分のことだよ?)。

危なかったよ。

良い子の皆さんはドクターストップには従いましょう。真似しちゃ駄目だぞ。

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Thursday, 18 October 2007

人間は育ち方ひとつで首狩り族にも文明人にもなる

私の小さい頃、子供をしつけるということを凡そ害悪のようにみなす言説が流行った。

ただ、伸び伸び育つことが良いのは無論としても、

人間にとっての「自然な状態」というのが、別に、現代の日本の文化や道徳へ適応した状態とイコールではない、という現実を心得ておくことは、大切だと思う。

人間は育て方一つで、俗に言う文明人にも首狩り族にも変わる。

この日本で育ったとしても、あまり迂闊な親だと、

一昔前の文化人類学の本に出てきたような「男子が14・5才になると通過儀礼として他の部族の男を殺して首を持ち帰る部族」風の人間に育つことは、充分に有り得る。

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Monday, 08 October 2007

プロフィールページ注意書きを更新

■昔の注意書きの表現がまだ気になっている人がいらっしゃるかな、と思ったので、分かりやすく書き直してみました。

大半のコメントは迷惑じゃないよ、ということが良く分かるようになったと思います。

今の所、コメント禁止処分になっているのは、politeという奴だけです。管理人は滅多なことでは人を嫌いませんが、こいつはあんまりだし、こいつの迷惑行為は管理人以外にまで及んでいるので。

先日の茂吉さんとかは充分に許容範囲内なんですけどね。

■余談ですがオカルトネタの照れ隠し的な新記事「結局自分はオカルト好きなのか」も、上げてあったりします。(管理人母VS自称"密教を極めた"変な先生の三文サイキックウォーズの、後日談ですよ)

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Thursday, 04 October 2007

ネタのような現実を生きる:精神世界っぽいメモ

今回は純然たるオカルトネタなので、その手の話題が不快な方は先を読まないように。

なおこの件に関する苦情や相談は受け付けません。

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Wednesday, 29 August 2007

画用紙を、意味もなく黄金比にしてみた話

画用紙を黄金分割してみる、という件について

市販の規格の紙は黄金比では出来ていないのだが、あの縦横の比率も、かなり格好良い(少なくとも、そのように、子供の目には見えた。)

そんなわけでその日、幼いわたしは画用紙の端をちょいちょいと切って試しに黄金比にしてみたのだが、どうやってみても、完成したものは

普通の規格の画用紙に比べてへんに横長で、どこか格好悪かった。

世間では、一番美しい比率と言われているのに。

あの違和感が今でも忘れられない。

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Wednesday, 15 August 2007

投稿時間を修正

帰国以来今まで、日本時間に直すのを忘れていた。

職場でブログを書いているように見えかねないので、気づいた時は微妙に焦った。

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Sunday, 10 June 2007

しばらく哲学のことを書いたので

先週、職場の空き時間に「立法意図を歪められないために」という生臭い事柄を自習していて、すこし哲学の抽象性が懐かしくなり、

幼少期以来めったに触れなかった哲学書を久しぶりに手に取ったのだけれど、読解にあたり、昔は不要だった傍線だの書きこみだのの、汚す作業が必要だと気付いた。

同じ難解な本でも「読書百遍意自ずから通ず」を地で行えた幼くて暇な自分と、今の自分とでは、事情が違う。

街の本屋で新しいものを探しているうち、

20世紀のドイツ語圏ものではハイデガーくらいまでは思い出せるのに、ウィトゲンシュタインは数度読んだまま、名前さえ忘れきっていたことを思い出した。家の書架に残っていないのは、亡父が単身赴任先へ持ち出したか、知り合いに貸したきりか、古本屋へ売ったか、いずれかの理由だろう。

色々親近感を覚える人なので、今度買ってこようと思いつつ心理学コーナーへ行き、クラウディア・ブラックの心的外傷についての本を二冊斜め読みし終えた時点で三時間が過ぎ、閉店時間になったので、帰宅。

余談だが、むかし小学6年の正月、お年玉でNHK高校講座世界史のテキストを買った後、すっかり影響されて「ヘロドトスと司馬遷とイブン・ハルドゥーンとランケくらいまでの歴史書は、学生として必読だろう。」と思ったことを、最近になって、よく思い出す。

といっても当時はネット書店などがなく、また私自身、書店の利用方法についてろくに知らず、

ハルドゥーンとランケが見つからずに足が痛くなるまで探し回った挙句、なぜかトマス・アクィナスを一冊買って帰ってきたのだった。

神学大全もアクィナスも名前以外ろくに知らなかった時代で、要は、家にあったバタイユの著作に似たタイトルに惹かれたのだ。

そして、同心円上をぐるぐる動く(そして、時々飛躍する)スコラ哲学の理屈に目が回り、「人間とはどんなに無益でも、細をうがった論理構築に喜びを感じる本能でも持つのか?」「こんな考察が、なんの救いになるんだ?」と疑いたくなったり、「自分は実は、たいへん馬鹿なんじゃないか?」と思ったりした、苦い記憶がある。

だから何?って、まあ、メモですから。

哲学好きで哲学嫌いなウィトゲンシュタインに対し、勝手な親しみを感じたというような。

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おまけ:例の「祭姪文稿」臨書について

反故の大量さにうんざりし、紙幅を節約するためにも、小筆を使い始めた。原本の筆先の擦り切れた質感は、太筆の場合だと百円ショップで求めた荒い羊毛の筆を使うことでそこそこ雰囲気を出していたのだが、小筆は安い物でも微妙に質が良すぎて、まだ上手く行かない。

ちなみに、墨汁のついた古紙は、パルプから黒味を抜くのに手間がかかり、うまく再生紙にならないのでは?と思うので、反故を資源回収に出すのをためらっている。

なぜならやはり小さい頃、自分で実際に試みて、閉口した覚えがあるからだ。よほど暇だったんだろう。

古紙リサイクル施設を併設していた平安朝の宮中って便利だったろうな、と変な羨ましさを感じる。

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Thursday, 17 May 2007

モットーその三「笑えるときには笑う」

昨日、生き延びるのに役立ったモットーを三つ、というような事を書いた。なのに、土壇場になって一個削ったので、文面がおかしくなっている。

三つ目は、「笑えることがあったらすかさず笑う」だった。

辛い出来事といっても十中八九は可愛げのある側面だって伴っているのだから、ユーモアの精神さえ心得ておけばストレスが減り、難局を越える役にたつからだ。

笑おうと思えば笑える状況下でも一々劇的に嘆き悲しむ、というのが人生のスパイスの人もいるんだろうが、個人的にはそこまでヒマではないし。

削ったのは、上のモットーを実行していたのはせいぜい15・6くらいまでで、その後はあまり実行できていないからだ。

15・6あたりから、「そろそろ大人なのだから、威厳をもって振舞わなくては」などと考え始めた。

笑えることを笑うのは良いとしても、好悪の感情のみで生きる小人物と、同類に見られかねないからだ。

今でも私は好悪の感情をおもてに出す人間が嫌いだ。

嫌いなものはしょうがない。

昨日書いたことがらみで、もう少し、自分の嫌いなものは素直に嫌うように、心がけて生きてみようと思う。笑えることには、笑いつつ。

感情を大事に生きるとは、そういうことだろう。

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