Sunday, 03 February 2008

「トゥーレの王」

例によって小さい頃の追憶がらみで、

ゲーテの詩「Der König in Thule (トゥーレの王)」が懐かしくなったので、ネット上の原詞や、歌曲の動画を探し、参考にして口ずさんでみた。

この詩が「ファウスト」の一部に使われているとは、個人的に意外。

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Saturday, 29 December 2007

卒意と言うこと

藤原行成について先日の記事で、「かな文字よりも漢文のほうが出来が良く見えたりします。なぜだろう。」と触れた後に

ふと思い立って調べた所、現存する彼の作品の内、明らかな真跡は漢字のもののみだとかで、

やはりなあ、と思った。

彼の手になるとされる作品のうち仮名文字は、

例えば、「上手に見せたい」という気負いや「どうです?私の字は巧いでしょう」という気取りの漂うキザな筆跡だったり、

或いは、

まるでウラナリの坊さんか尼さんが、諸行無常を託ちながらも憂き世の見栄に囚われつつ筆写したような、生気もなければ覇気もない、鬱々とした筆跡だったりする。

あれらが仮名文字の鑑として人口に膾炙していると聞いても、これまで私には、どこがどう良いのか判らなかった。

今般彼の漢字をじっくり眺める機会を持って、あの品の良い豪放さや、健康な精神性がありありと伝わる筆致は確かに稀有だと思ったし、この人物と、あの仮名文字の退屈そうな御仁が同一とは、やはり思えない。

要は、「彼の」仮名に漂うキザな暗さが、漢字には全く無いのだ。

習字を始めた頃の書道の先生や、小学校一・二年の担任の先生から教えられて以来、私も重々自戒していることだけれど、

書に限らず全てにおいて、

卒意とは、極めて難しいが、不可欠の要素だと思わされる。

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Wednesday, 12 September 2007

「歴史の英雄に学ぶ○○」というものが嫌いだが

日経ビジネスオンライン、というサイトが割と好きで欠かさず見ているが、読み飛ばす連載も幾つかある。

リーダーの資質について歴史小説作家が語るコラムなど、歴史フィクションの大仰さが嫌いな管理人などは元来避けるのだけれど、今日は何となく、これに茶々を入れたい気分になった。

ナポレオンがロシア遠征に失敗した際の話で、個人的にお勧めの読み所は、フランス軍(というか大陸軍というか)の明らかな失策に関し、あれこれと弁解がましい点だ。ネタの仕入先が、フランス寄りなんだろうか。

さて、ロシアが侵略を受けた際のお家芸を大雑把に言うと

①攻めてきた敵方を領土内の、出来るだけ深部におびき寄せる

②敵の補給線を可能な限り伸ばしきり、焦土作戦を取る等で消耗させつつ粘る

③どうにかして半年くらい頑張れば冬将軍が来るので、

④侵略者には凍死してもらう

という奴で、

逃げ回るロシア軍を追いかける事ほど怖いものはない、と言って良いと思うし、仮にそんな予備知識がないとしても

敵を深追いすること自体、常識に照らして馬鹿げているのだが、

この単純な策にまんまと嵌められて、いいように引きずり回された挙句に惨敗を喫した当時のナポレオン側について、書きようによっては弁護できるのだなあ、と、変に感心させられた記事だった。

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「歴史上の英雄に学ぶ」風の読み物を見かける度に、その大仰で軽薄な様子…というか、例えて言えばローマの闘技場で殺し合いを眺める市民の興奮に輝く眼差しのような浅薄な態度には、辟易させられる。

ましてナポレオンのように、革命後の混乱に乗じて強権を握った専横の人物を、平和で全てが膠着化した現代の人々がなぜ持てはやすのか疑問に思う私としては、

強いて言えば、目先の勝利に拘らずに劣勢を打開したロシアのバルクライやクトゥーゾフに、学ぶべきものを見る。

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Saturday, 05 May 2007

「花を踏んでは同じく惜しむ少年の春」

中学一年の春の今頃、父が脳腫瘍を患って入院生活を始めた頃のことだ。
私は学校から、少し遠回りして帰る途中だった。

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Friday, 04 May 2007

「祭姪文稿」臨書中。未だに。

魂にして知有らば、久しく客たるを嗟く無かれ。嗚呼哀しい哉。尚(こいねがわ)くは饗けよ。

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小学校に上ってまもなく、平たく言えば六歳の頃、学内で祝い事があり、記念に硯箱を貰った。

硯箱、と言っても端渓が似合うような洒落た品ではなく、合成樹脂で実用本位に出来ていて、表面には達磨と「七転八起」の文字を浮き彫りにした、ありふれた意匠が施されている。

担任の先生は硯・筆・紙・墨の文房四宝がどうとか軽く説明をした後、確か、こんなことを仰った。

「習字というのはお手本や、先生の字に似せて書くように教えられますけど、いつまでもお手本や先生に囚われたままじゃあ、単なるニセモノで終わりますし、第一そんなのは、見てて詰まんないですよね?頑張って先生をぶっ飛ばしてやろうとか、お手本なんぞぶっ飛ばしたい、て位のキハクで、丁度いいんですよ。まだ、子供なんだから。ぶっ飛ばされてしまうお手本や先生なら、所詮はそれまでってことです。」

長い髪を揺らして温かく笑いながら、先生は続けた。

「学生にぶっ飛ばされそうになるのを嫌がるセンセイ、ってのも多いですが、そんな人は、教師とは言えませんから注意してくださいね。 昔の言葉に出藍の誉れ、というのがあって、(以下略)」

今にして思えば、六歳の子供に、随分高尚な話をなさったものだ。

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祭姪文稿、というのは「ぶっ飛ばし」ようのない、手ごたえのあるお手本だが、書くものの精神と格闘するような部分がある。(空海などが顔法に凝っていたのは、その為かもしれない。)

書いていて疲れてきたので、ひとっ走り墨と旨いカリントウでも買いに行こうと思う。

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Monday, 19 March 2007

モテじゃないならどんな人になりたいか、というと

エレガントなおばさん&おばあさんになるのが小さい頃からの目標の一つです。

例えばファッション。良い生地や仕立ての服なんて、若い人だとどうしても着ると言うより「服に着られて」しまいます。頑張って一応着こなす人でも、TPOがつかみ切れないものですし。

いかなる状況下でもビシッと着こなしながらも、余裕を失わない。それには、年の功が欠かせないと思いつつ、育ちましたからね。

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Sunday, 15 October 2006

「歌う君を、みた気がする」

ルートバーンでの山歩きをキャンセルして書き上げた長文エッセイを、金曜に提出。解放された気分で、けれどなぜか、REMの”Losing My Religion”を口ずさみながら、フラットに戻る。

夜、大学のライブハウスから、野郎共の咆哮…もとい大勢の歌声で、聞き慣れた旋律が響いてくる。聞き慣れた、というよりも、昼にわたしが歌っていた”Losing~”そのものを、今夜どこかのバンドが演奏していて、それに観客の大合唱が起きているのだ、ということに気づく。

”それは、追い詰められた私。スポットライトを浴びて/信じるものを失いながらも、視界は失うまいとしている。まるで頑固な、迷える、盲いた、愚か者のように。”

”歌う君を、見た気がする。/笑う君を、見た気がする。/そうしようとして努力する君を、みたような、気がするんだ。/けれどそれはただの夢/努力し、泣く。泣いて、また努力する。/けれど、それもただの夢、ただの夢。/夢。”

このあたりの歌詞にはとりわけ、声が集まる。

元うたは92年頃に、ソビエト連邦の崩壊に触発されて書かれたものらしいけれど、別にその時代を知らなくても、この歌に青春(じゃなくても)の理想とその挫折を重ねる人は、多いんだろうな、と思う。

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Friday, 08 September 2006

ピアノレッスン、付け焼刃。

昨日記事の、おまけ。

管理人が幼い頃、ピアノを習い始めたのは、そのまえに音楽教室に通った兄が、数ヶ月で飽きてやめてしまい、母がしきりに残念がっていたので、じゃあ、私がかわりに。と思ったのがきっかけです。

兄の時は、毎日楽しげに練習によりそっていた母が、ことが私となると無視どころか罵倒さえするので、不思議でしたが、まあ親とは、同性の子供には厳しいものだと当時から納得していたのでノープロブレム。

ただ困ったのは、練習が思うように出来ないことです。あの手のものって、何度も同じフレーズを練習しますよね? これに、時々母がかんしゃくを起こします。とは言え、練習しないと、それはそれで、怠けるなと怒るのですけれど。

で、気をつかって、隠れて練習すると、練習する音が聞こえない、さぼっているんだろう。と叱られます。怒ってたから隠れて練習するようにしたよ。というと、うたがって聞き入れてくれないか、あるいは、少し怒られたって気にせず練習しろ、と怒られます。

その通り気にせず練習すると、こんどは、こないだ叱ったのにまた同じことをする、と言って罵倒されます。最後通告だ、とまで言われると、あとが有りません。

まあ、たとえば、ウェーバー「魔弾の射手」から「狩人の合唱」ばかり、納得できる演奏になるまでずっと、スーパーエンドレスリフレインリピートで聞かされると、そりゃあ弾くほうは楽しくとも(注:あの曲はほんとうに明るくて楽しい)、聞かされるほうは辛いでしょう。

あと、練習を中断しても、管理人自身が、♪ヴァスグラーイヒト♪とか歌い始めたりしますし(注2:もとは男性合唱曲だが、自分でアルトに転調してみた)。ともあれ、「楽しい曲だからね」とか、「納得できる音が出るまで繰り返すんだよ」とか説明しても、言い訳だ、わがままだと怒鳴られます。

じゃすみんさん、ぴんち。

困りましたが、「森の中の廃屋にピアノが~」なんてお話は、無いですからね。

そんなこんなで、レッスンはサボりがちになりました。いっそ止めたいとも思いましたが、お前のわがままで始めたんだから続けろ、と罵られるので、なかなか止められません。そんなこんなで、さぼりつつも、時々はやめに教室に出かけて、教室の備品のエレクトーンでの即日仕上げ&演奏テスト一発クリア、に挑むようになりました。

いつもはマダムな先生は、ピアノ教師の常として、ピアノの前に座ると人格が凶暴化するので、ドキドキものでした。母と先生の、恐怖の板ばさみ。「前門の虎、後門の狼」という慣用句の意味が、身に沁みた瞬間です。

ただそれも五年目辺り、洋書の教本を何冊かこなしたあたりで、ちょっとつらくなって来ました。毎日欠かさず練習することが、欠かせないレベルに入ったからです。

しまいにはやる気をなくし、エレクトーンでの練習さえ抜きで、ぶっつけ本番に挑む…というか、テスト本番で一度失敗したあと、先生が演奏してくれる手本を一二度聴いて、それを耳コピすることで、テストをクリアし続けていました。

だから最後のころは、演奏こそ高度になっても、譜面を読む能力は落ちる一方で。

それが続いて、さぞ先生の不興をかってるだろうな、と身構えていたら、ぎゃくに奇妙に感心されて、音大に行きなさいよ、と薦めて頂いたりもしましたが。とはいえ、中学に上ることを口実に教室を辞められたときは、ほっとしましたね。綱渡りのようなレッスンが終わって。

良い思い出なのか、悪い思い出なんだか。

そうやって七年間ならい続けたピアノですが、中学に上って半年くらいで、人差し指で猫踏んじゃったを弾くことさえ、出来なくなってしまいました。あと、一応絶対音感は身に付いたらしいのですが、ドとかレとかミとかいう名前はよくわからないし、楽譜を書きも読めもしなくなったので、意味が無かったり。

本当に毎週、付け焼刃だったんだなあ。

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Sunday, 20 August 2006

武術昇級試験と、成分&姓名判断

武術の昇級試験が終わり、一日、ぼんやり過ごす。一応あった、ジムへ行こうかな、というプランは、自分で却下。

ボーっとネットを見る。観た内容といっても、成分は

③駒大苫小牧VS早稲田実業の甲子園決勝 2% 

②パラグアイの元独裁者、ストロエスネル氏の死亡記事 3%

①デイリーポータルZ 95%

という内訳で、まさに休み。

ちなみにこの間、同居人のサマンサがPCを使いに部屋を訪れたが、それはウマイコト②を観ているときだったので、真面目な人間だなあ、と良い感じに誤解されたかもしれない。(余談だが、母の幼馴染には、パラグアイに移民し、ストロエスネル氏の下で死にそーになった人がいる。)

明日からまた忙しい学校が始まる、ということで、一日時計を気にせず、何もしない状態も乙なものだった。生産的な作業といえば、週明けの弁当の下ごしらえくらいかな。

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ところで試験は、他の教室との合同で、体格や戦法が自分と似た生徒が二・三人見つかって、いい勉強になりました。

白帯の試験終了後も居残って、ベンチに腰掛けて見学しながら、他の級のワザをちらちら真似しつづけること、約三時間半。あまりスポーツ化していない武術なので、割と初級でも、

①右腕を背後から相手の首に回し、気道を圧迫 ②同時に、相手の背中と自分との間に左手を差し入れ、相手の肩甲骨の合間を圧迫。(←ほんとうなら気絶しますね、これ。)③相手が落ちた所で、顔面か首に止めを刺す(←試験では徒手だけど、たぶん小武器を利用する動作)。

というような動作の審査があったり。(今日は見ていないが、髪をつかんだ状態での格闘などもあり。)

それを一々、頭と身体で覚えようとしていた訳で、たかだか計四時間半、とはいえ、疲れて当然かもしれない。

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≪今日のこねた≫

管理人の「戦国武将解析による解析結果」
46%は風魔小太郎で出来ています
46%は服部半蔵で出来ています
4%は豊臣秀吉で出来ています
4%は猿飛佐助で出来ています

------4%の秀吉以外、武将というより、むしろ忍者分析。

「銀魂解析」

51%は土方スペシャルで出来ています
45%は星海坊主で出来ています
4%はお妙で出来ています

-----確かに嫌いじゃありませんけどね、マヨネーズ。 刺身をあれで食すのとか、好きですし。でも人間性の51%を、土方スペシャル=マヨが占める、ってのは幾ら何でも、言い過ぎかな?

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≪こねた2:姓名判断、波乱万丈編≫

父母が 頭かき撫で 「幸くあれ」 て 言いし言葉ぜ 忘れかねつる

そんな防人の歌みたいな、人生とゆーグレートアドベンチャーの旅立ちに、親がくれる贈り物、それが名前! 

別に迷信ぶかくない管理人の母ですが、世の習いとして、一応は姓名判断を参考につけた、という話なので、ネットで自分の名前を調べてみました。結果、大体どの流派でも、以下のようなご託宣が下ることが判明。

万事叛乱型[大凶]

英雄・豪傑が多く出ます。しかし運勢は、奇怪、波乱、悲劇を暗示しており、非業の死を遂げるような人物が多くいます。生涯を通して浮き沈みが激しく、波乱万丈の人生となるでしょう。目標が大きければ大きいほど激しい転落を迎えることになります。実力があるため、少々自信過剰で無理に進みすぎることが多く、その分、被害は大きくなります
不運から逃れる方法は、まず人の役に立つことを目標にすることです。そして常に慎重に行動することを心がけ、自分ひとりで何でも決めるようなことは避け、信頼できるアドバイザーを見つけることです。

傍線筆者。……気の弱い子だったら、泣くと思う、これ。(遠い目)

ちなみに結果文は、こちらのサイト様から

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Sunday, 04 June 2006

音楽に、愁殺。

小さい頃、クラシックを聴くことが多かった。

ただ単に、親のコレクションがクラシック中心だったからだが、その中に、ラジオから録ったシューマンの弦楽曲が一つあった。ロマン派らしい、ドラマティックな短調の曲だ。曲名は定かに覚えていないけれど、たしかパーソナリティさんが番組のなかで、「晩年に書かれたが、余りにも技巧を凝らしているため、演奏困難とされ、長年埋もれていた」とおっしゃっていた事から推測するに、例の、バイオリン協奏曲なのだと思う。

ある日、はっきり記憶に無い幼い頃、いつものように管理人がこの曲を聴いていると、ふと父が寄ってきて、「こういう曲を書く人間が、気が狂ったってのは、当然な気がするぞ。」と、言った。父によれば、高名な作曲家には、繊細な神経に過酷な創作が加わるせいか、心の安定を保てななかった人間が多く居り、シューマンも、その一人に入るらしい。

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