Sunday, 23 March 2008

フォークランド紛争

数日前から何かにつけてフォークランド紛争のことを思い出すので、

少し調べてみたら、開戦が1985年3月19日だったのですね。

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当時の私は11歳でした。

いくらフォークランド(マルビナス)諸島が、実質的にアルゼンチン国土の一部のようなもので、英本国からみた存在が耐えられないほど軽い、とは言え、

武力占領を行っても大丈夫だろうと考えた、アルゼンチンのガルティエリ大統領(当時)の思考停止ぶりに、誰もが唖然としていたことを覚えています。

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英国領に侵攻した以上、まず、イギリスと戦うことは確実です。ついでに、中南米諸国を裏庭扱いしていたアメリカをも怒らせるのは、予測できたと思います。

この地域の性質上、市民のゲリラ活動には頼れませんので(義勇軍も来なさそうですし)、英米を敵に回して、あくまでも正規軍だけで戦わなくてはなりません。 ガルティエリ大統領も、工兵とはいえ中将なのだから分かっていたでしょうが、

アルゼンチンには、まったく勝ち目がありませんでした。

惨敗必至のこんな軍事作戦で、軍部独裁への民衆の不満を解消できると判断した同大統領の、マッチョの度が過ぎる判断や、

たとえ同国が、大戦前後のひとときに大国の仲間入りをしていたとはいえ、すでに零落し悪性インフレに苦しむ赤字国家になった自らの現実を認められない、盲目さに、

他国はだいたいどこも、唖然とするほかありませんでした。

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これから厳冬を迎えようという極地に近い島に、深く考えずに送り込まれた兵士のなかには、凍傷で両手足その他を失ってダルマ状態になって帰ってくる人もいました。

そのニュースに、映画『ジョニーは戦場へ行った(※)』のような生を強いられる人が現実にいる、ということを、改めて思い知らされたりもしました。

ともあれこの事件は、管理人にとっては、「人間はこれほど愚かになりうるのだ。多分、私自身を含めて。」と思い知らされた、記念碑的な出来事の一つです。

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(※) 映画『ジョニーは戦場へ行った』:

個人的には、Metallica"One"のプロモを通してしか知りませんが、この映画の何たるかが簡潔にまとめられている作品だと思います。

ちなみに"One"は、10代の頃の自分を励ましてくれた曲です。気分は歌詞そのもので最悪に近くても、「自分にはまだ、手も足も目も鼻も口もあるのだから、這いずってでも前に進まなきゃな。」と思い直すために、よく聴いてました。

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Sunday, 16 December 2007

母と伯母達、冷戦中

管理人の叔母たち(母の姉や妹)は基本的に母のことを好いていますが、前にも書いたように、両者はほぼ絶縁状態です。

どのくらい絶縁状態かというと、四年前の亡父の葬儀の際、母は上記の実の姉妹を一人も招かず(義姉=母の兄のお嫁さんには知らせていました)、

最近は、

高齢の伯母の一人がかなり酷いガンで、翌春のお彼岸まで保つかどうか危うい状態なのですが、管理人の母だけは知らされていません。

そんな飛び石作戦をチョイスしあうほどの、不仲です。

なぜそこまで不仲か、というと、母が幼い管理人のことを露骨に疎ましがっていて伯母たちに呆れられた、というのもあるそうですが(嫌な話なので書きません)、

決定打になったのは私が6歳くらいの頃の、祖父と同居していた時期に起きた一件のようです。

つい先日に知ったことですが伯母達によると、

当時、管理人の実家で暮らしていた祖父が、持病の狭心症で倒れた際、母に『薬をくれ』とか『救急車を呼んでくれ』とか頼んだのに、無視というか、放置されたことがあるそうです。

この発作から致命的な発作までは間があったので、病床の祖父の口から伯母達に経緯を知られることになり、皆、少々の記憶違いはあっても鮮明に覚えている過去らしいのですが、

肝心の母だけは、全く覚えていません。

当時からそうでしたが、

前後の記憶を含めて記憶が消えているらしく、なぜ祖父がその日を境に家から消えたのかさえ、全く思い出せない様子です。

(祖父との件について、『リア王とコーデリアみたい』と言っているのを今でも聞きます。)

ちなみに私はこの件について、伯母たちから話を聞くまで、

『親代わりと懐いていた祖父が、ある日学校から帰ると、家から消えていた…母は何も説明しようとせず、妙に取り乱している…と思ったら祖父がどこかで脳梗塞を起こした、という話が耳に入り、入院先で会った時は、私の顔も判らない状態になっていた。』

程度の認識しか持っていませんでした。

よもや私の家で倒れていたとは。

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まあ、あの人は、数年前に飼い猫がジステンパーに罹った時でさえ

『ど、どうせ死ぬんだからー!! みんなどうせいつか死んじゃうんだから、いま病院行って治しても、意味ないから!! 誰だって、早く死ぬほうが、生きてるより幸せなんだからぁ!!』

とパニックを起こして治療を拒否した、困ったさんだからなぁ。

(余談だけど、上のパニックの台詞、なんか可愛いよね。)

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まあ、猫ならば管理人がかっさらえば病院へ連れて行けるし、

兄や父についても、部分的になら、管理人が何とかできていたのですが、祖父の件は盲点でした。

(注:それでも時折『もう少し頑張れば、もう少し誰かを助けられたかも知れんな』と考えたりしますが、自分の知力・体力・時の運の全てを投入してこの結果に終わった以上、自分の策を超える手はほぼ有り得ないだろう、と考え直すことにしています)

ともあれ家族以前の問題として、私自身が弱っていた頃もあったので

自分が何人目かの犠牲者になっていた

かも知れませんでした。

もう少し知恵や体力が足りなかったら、死んでいたろうな自分。……って感じの、具体的な思い出が、あれこれと有るので(苦笑)

まあ私は

あれしきで死ぬほど雑魚じゃないがwww

と、とりあえず強がっておきます。

そうしないと、人生が先に進みません。

さあ明日も、早起きして勉強&仕事&鍛錬だぞ、と。

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ちなみに管理人が小さい頃から強力さんを目指している理由として、

少なくとも小学生くらいの頃までは、

(天災とかが来たらうちのお母さんは、絶対パニクって、駄々こねて、避難しないに違いないから、いざと言うときは私が背負って逃げねば。…ということは、母の体重+αの50kgくらいを背負った状態で、楽々と山坂を走破できるようにならねばならんって事か。)

とか思っていたせいも、少しあります。

そんなこんなで力自慢になった管理人は、戦隊モノごっこでは黄色い役しか回ってこない子供になり、隠れて憤慨してましたとさ。

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Thursday, 27 September 2007

ミャンマー/ビルマについて

88年にビルマの独裁政権が打倒され軍が政権を奪ったとき、真っ先に出された声明の一つが「民政への速やかな移行を目指す」という奴だった記憶があります。

2歳くらいから中学生だった当時まで世界各地の軍事政権成立のニュースには接していましたが、大体どれも初めこそ「民政を目指す」と言いつつ、政権に居座ったものでした。従ってこれも嘘に違いない……とは思ったものの、

実はうっすらと期待した自分を覚えています。

以来19年、やはり嘘だったんだなと思わざるを得ません。

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Tuesday, 18 September 2007

ちょっと連勝した位で舞い上がるのは最悪

今日は父の命日なので、昨晩は珍しく、母と兄と三人揃って外食をした。

母は少しはしゃぎ気味で時折ヒヤリとさせられたが、それなりに和やかに場が収まったので、安堵した。兄はやや朦朧としつつも、F22のステルス性能の話などを、それなりに楽しそうに話していた。

軍事ネタついでの余談だけれど、今日ウィキペディアで見つけた「今の人は何も知らないのだね」を一個。

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Tuesday, 04 September 2007

役人が首になりづらい理由の一つ

明治生まれの国士型の役人で、コーヒー一杯の接待さえも断る主義だった祖父が言っていたことを、思い出せるまま書いてみる。

かなり穴のある理屈かも知れないが、聞いた時は説得力があると思った。

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大体、不祥事を起こす奴の場合、表面化するまでの間に
他にも色々と悪さをしている。
表面化するのは飽くまで氷山の一角だ。

国を敵に回してまで悪事を告発しようなどと言う
企業も個人も滅多にいないし

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Thursday, 30 August 2007

日本文化が否定されがちだった時代の話

管理人が2歳あたりで物を読み始めた頃から80年代に入る辺りまで、世間の大人がしきりに気にしていた事の一つに

なぜ日本が英米に負けたのか

というものがあって、当時のマスメディアで見かける論調には、そういう疑問が滲み出ていた。

こうすれば勝てたかも?という視点だから、言うまでもなく、右翼寄りの言説である。

彼らを含め当時の世間では、右翼・左翼・中道を問わず、日本的なものや東洋的なものを蔑むことが多かった。

具体的に言うなら、

「欧米ではアルファベット26文字さえ覚えれば何でも読めるようになるが、日本や中国では数千文字の漢字を覚えなくてはならない。こんな無駄な労力を費やしているから東洋文明では科学が発展しなかったのだ」であるとか、

「諸行無常、侘びさびだの精進料理だのと、禁欲主義にウツツを抜かしているから負けたのだ。アメリカ人の、血の滴るビフテキを貪り食うような、あの欲望丸出しの生き方を見習うべきだ」だの、

「年配者への尊敬というような無駄な道徳を持っているから負けたのだ。」だのというように、

当時の論調では、東洋なり日本なりの伝統的な文物は悪く、軟弱で、感情的で、非合理的という位置づけで、何で有れ、問題が起き次第、日本の伝統が元凶とされがちだった。

だから今の政治家のように、日本の伝統が戦後の歳月で大きく失われたことを戦後民主主義のせいにしている輩を見る度、常のことだが

今の人は本当に呆れるほど何も知らないのだな、と思う。

以上のような過去を覚えていて尚且つそのような事を言っているとすれば、確信犯だが。

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Tuesday, 28 August 2007

「偉い人」というものが嫌いな母

先日の話と同じ件で、おばと雑談していた時に、おばから「忘道は、本当にお祖父ちゃんに良く似ている。」と言われた。

祖父は今風に言うなら"profoundly"の付くギフテッドで、管理人の思考回路は基本的にこの人のコピーで出来ているので、まあそんなものだろうと思う。

祖父は大正末あたりに大蔵省に入省し、主計・主税・理財その他をくるくると回り、数寄者らしく理財で国有財産の面白さに嵌った辺りで、同期が次官になったので引退した。

ちなみにこれは、一線が同期(i.e.仲良し集団)で固められるのを防ぐための素朴なしきたりだと聞いている。

昔の次官は今よりずっと若い年齢で就くものだったので、同期はまだ隠居するには若すぎ、かつ別の職を探すには歳を食いすぎている、という微妙な年齢で引退しなくてはならなかった。

下手に自立しようとしても、武士の商法、つまり、人に頭を下げられないという致命的な欠点を修正する前に餓え渇えてしまったりする。

天下りが始まった所以である。

祖父の在省時の唯一の後悔は「ホバークラフトを開発する話に予算を付けられなかったこと。まだ軍部が煩くなかった頃だから、もう少し頑張れば通ったかもしれん。」だそうだ。

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管理人の母は、「偉い人」というものを物凄く軽蔑している。

「たとえば地方の税務署長とか警察署長とかって、まだ大学出たてのような、若い年齢で就くじゃない?送別会とか歓迎会とかをやるとさ、いつもは威張りくさってる地域の大人たちがそういう若い人にペコペコと媚びへつらってさ、

署長とかのほうも、ろくな実力もないくせにすっかりいい気になってたりするのよ。で、その当人がいない場では、みんな一斉に陰口をたたいたりするのよ。

そのくせみんなして、あたしみたいな子供にもペコペコ媚びて、ほんっと見苦しいのよ。

ほんと馬鹿みたいだった。」

確かに、人にペコペコされる側に良くいる、ゴマすりだのの詰まらぬ物事ですっかりおだてられてしまう人間というのは、私にとっても同様に、どうにも理解の範囲外だ。

美酒美食や美人をあてがわれようが金銀財宝を積まれようが

「何でぇ。いらねぇよこんなモン。」

と鼻で笑う国士というのはやはり格好良いし

自分に媚びへつらう人間を、一々気に留めるほどもない詰まらない生き物として見下してしまいそうになる、あたりまでならば、まあ、経験的によく理解できる、とはいえ、

考えてみればペコペコする側の、他人に頭を下げられる能力というのは一種の才能、プライドやプロ意識の現れで大したことだし(実際これは難しい)、

そもそも、大抵が面従腹背であることくらい双方共に分かっている訳で(分かっていない奴がいるとすれば大のつく馬鹿だ)、媚びられる側は自己点検と研鑽を欠かさず地位相応の実力を身につければ良いだけじゃないか?と

こういう母の台詞を聞くたびに思い、実際口にも出すけれど、彼女にはそういう理屈は通じない。

地位相応の実力を身に付けようなどという殊勝な人間が少ないことは確かに問題だが、真面目な努力家も、少なからずいるものだし。

「地位権力に無頓着な清貧」→貧しい、というのは妥当としても、貧しい→清貧 ではないだろうに、彼女は根っからお嬢なので、そういう区別が全くつかないらしい。

まあいいけれど。

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Tuesday, 21 August 2007

70年代の話:産炭地を保護していた意図

管理人の故郷である北海道には産炭地が多くあり、ご存知の通り今は苦しんでいる。何やら世間では自治体の補助金漬け体質が悪いだの放漫経営が悪いだの住民が怠慢だのと非難されており、

実際、呆れる話も多いのだが、

財務官僚からみのもんた氏までが産炭地の責任だと知った口を利く様子などを見聞きしていて、「ああ、今の若い人は何も知らないのだな」とおかしく思ったので、昔話を書いてみたい。

34歳の私が年上を捕まえて「若い人」呼ばわりするのもおかしいが。

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Saturday, 30 June 2007

リンゼイ・アン・ホーカーさんの件について一点補足

ニュージーランド留学を始めた時、学校から「学生生活ガイドブック」というものを受け取った。数種出ているらしいが、買い物から人づきあいまでのローカルルールが紹介されていて、なかなか面白い。

ちなみにニュージーランドは国家元首にエリザベスⅡ世を掲げる英連邦の一部で、根底に昔ながらのイギリスの文化を引きずっている。

それらの中に

「こちらでは、性別の異なる他人であっても、気軽に自室に招きいれたり、相手の部屋に入ったり、時に寝泊りさせたりもしますが、これを『特別な関係になっても良いという意味だ』などと誤解してはいけません。」というのがあった。

他人を自宅や部屋に上げるのは、クリスチャン的な道徳から出た、単なる礼儀らしい。

実際、セールスマンや宗教の勧誘まで部屋に上げて、「はあそうですか、いや私の主義とは反しますねぇ、私が思うに…」などと茶飲み話をしたりする。

学校でも、英語のスノードン夫人が、ある日ご自宅に「茶もコーヒーもお菓子も毒です」という宗教の勧誘が来たと仰って、

「嫌よねー。そんな人を家に上げてティータイムを水で過ごす趣味なんて無いからさ、玄関で帰ってもらったわよ。」と、不機嫌になっているのを見たことがある。

夫人のように紛争多発地帯その他各国で暮らした人物でさえ、治安が良い場所では、気軽に他人を自宅へ招きいれる。

つまり、

『相手が少々いやな奴だろうが異性だろうが、そもそも来客を玄関先で追い返すなんて失礼でしょう?少しはおもてなししないと。それに茶のみ相手は、多いほうが楽しいでしょ。』

…という認識があるようで、まるで昔の日本人のようだ。

思うにこれは、寒くて雨がちな国なり乾燥地帯なりで、コンビニも自販機も休む場所もろくになく、たとえ嫌な客でもうかつに追い出すと死なせかねない時代に培われた、素朴な思いやりのマナーなのだと思う。

(日本でもお年寄りなどには今もそういう人がいて、悪徳セールスを家に上げて茶飲み話をした挙句、だまされたりしますよね。)

一般に欧米文化圏は日本の戦前・戦後ほどの激変を経験していないため、たとえ大都会ロンドンの若者でも、きちんと躾けられた人は古きよき行動様式を引きずっているので、

「日本は治安が良い=他人を家に上げても平気」と思う人がいたとしても、自然だと思う。

ましてキリスト教圏の女性は「初対面の女をレディ扱いしない奴なんて、それこそサイコパスだけでしょう?」程度に思っているし(ホーカーさんの場合、本当にサイコパスと出会ってしまったわけだが)、

世界には様々な文化がある、とはいえ、

こういう、来客や女性を重んじる習慣はイスラム圏だろうがヒンズー圏だろうが広い範囲で存在するので、日本が例外だとは予想せずに来日する人も多いに違いない。

この事件に関する報道やらブログやらを見ていて、やりきれない気分になるのは

「初対面の男を部屋に上げるとは」「男の部屋に上がるとは」油断があったんじゃないか、とか、あるいは遊び人だったんじゃないか、という意見があることだ。

異性を部屋に入れる程度の行動を色恋と結びつける考え方は決して普遍的ではない、ということは彼女の名誉のために指摘しておきたい。

むしろ逆に、

清く正しいクリスチャンor仏教徒orムスリムor文明人(以下略)の気高い隣人愛の表れだとみなす人々が相当数いる、ということも。

自分の文化を日本に当てはめた彼女は迂闊かもしれないが、こんなマイナーな違いなど滅多に説明されないだろうし、

まして、来日後まもない人に分かれ、というのは酷だと思う。

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Friday, 22 June 2007

70年代の話、その2

前々回記事の続き。

今では嘘のようだが、70年代~80年代初頭くらいまでの日本は、欧米を真似するだけの二流・三流工業国だと思われていた。

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