Wednesday, 16 April 2008

食事・栄養療法について(一)

kana様と寂光様のコメントへのレスを兼ねて。

------

先日の季節の変り目に、久々に軽い風邪を引いたときのこと。

一週間ほど連日、夕方4時くらいから微熱が出て、顔が熱くなったり、手足が重くなったり頭がボーっとしたり、という状態が続いたのですが、

その時、私は、仕事に支障がないように気を遣いながら、

考えてみれば数年前までは、長い間、こういう発熱や身体の重さとの戦いが日常的だったことを思い出しました。

それが日常じゃなくなった後も、留学の少し前まで頻繁にぶり返していたことや、

そのたびに内心で「大丈夫か自分?」と、不安になっていたことも。

当時、仮に親に相談しても、医療費の負担を愚痴られたり「死ね」と言われたりで、思うように病院に通えなかったし、

もし親戚に相談しても叱咤されるだけだったので、

できるだけ平気なフリをしていましたが、

今振り返ってみると「心細かったろうな自分」と思います。

------

管理人が、「食事療法」「栄養療法」といえる考え方に初めて出会ったのは、大学入学のために上京し、いわゆる「寝たきり学生」を地で行く暮らしをしていた頃のことです。

週あたり数時間、瞬発的に頑張って、そのたびに燃え尽きて、残りの時間を寝たきりで過ごす…というような時期、下宿の傍の書店で見つけたアンドルー・ワイル氏の著書がそれです。(「ワイル博士のナチュラル・メディスン」等)

これらのお陰で、カフェインや甘モノを過剰に摂取することの悪さや、精白しない穀物の良さを知ることが出来ました。

が、当時の流行では、「こんな不調にはこういうハーブが効く」というような、西洋の薬草にスポットライトが当たっていたせいか、食事そのものには、深く踏み込みませんでした。

「基本の食生活をきちんと。」という世論自体、今ほど盛んではなかった。

当時の私個人は、豆やゴマや野菜やキノコや魚など、一見しっかり食べていました。

しかし、白いご飯を主食としたり、安い清涼飲料水を大きいペットボトルで買ったり、朝食を「甘いシリアルと牛乳と果物」などで済ませることには、問題意識を持っていませんでした。

もし私に母仕込みの自炊能力がなかったら、さらに既製品に頼っていたはずなので、その場合、この歳まで生き延びることは不可能だったかもしれません。(その点では母に、微妙に感謝しています。)

つづく。

| | Comments (0)

Monday, 07 April 2008

一緒に居ると元気が出る、と言われても。

自分を客観視する試み。

---

管理人は、「あなたと一緒に居ると元気になる」だとか、「あなたを見ているだけで元気が出てくる」だとかいうお褒めの言葉を頂くことが、割と頻繁にあります。

物心がついた辺りから、ずっとそうでした。

で、

ひと様が元気になってくれる事は嬉しいにせよ、私個人は、この言葉が嫌でしたね。つい最近(今年初めくらい)まで。

---

というのも、例えば

小学三年辺りで人生が既に非常事態だった頃に言われたり、

冗談抜きで衰弱死し掛けていた頃に言われたり、

先日に書いた、去年、母の問題で大変だった頃にも言われていたので、

その人々の大半が、私の元気さには無関心であることに気づいて悲しくなったり、

「ということは、ひと様に弱い部分を見せないのが、私の責任かもしれない」と考えるようになって無理をしすぎたり、

無理がたたって、暗い表情が抜けなくなってしまった自分に、更に自信をなくしたりもしたので。

---

しかし考えてみれば管理人の人生は、どう転んでも、ずっとそう言われ続けるのだと思います。

何せ、あれだけ弱っても言われていたくらいですから。

だとしたら、ちゃんと食べるものを食べて、寝る時間を取って、笑えるときにはすかさず笑うなどしつつ自分を充電することも、大切にすべきなんだろうな、と

ここニ三ヶ月、考え直したりしています。

キザな物言いかもしれませんが、自分の運命を恥じていては何も始まらないですし。

自分の非力さや無知さ、限界を思い知ったり、取り返しのつかないことをしたり、散々恥ずかしい思いをしたり…という経験を踏まえてこそ、できることというのも、沢山あるでしょうから。

まとまりのない文章ですが、今日はこのへんで。

| | Comments (5)

Saturday, 22 March 2008

大人になって良かったと思うこと

管理人は、考えてみると身辺の記事を書くのが苦手です。

良い出来事も悪い出来事も大抵、一年以上経たないと、書く気が起きなかったりします。

-------------

一年と少し前、年末年始休暇のつもりで留学先から帰ってきた当時、管理人はアルバイトをしつつ、母の暮らす実家で寝起きしていました。

ちなみにここニ・三年、私の母は、

まるで少女時代をやり直すかのように、夜中の三時・四時までヘッドホンも使わずに、ドラマやら映画やら音楽やらをガンガンと楽しむ生活を送っています。

生まれてこのかた私に母が向けた表情としては、苦虫を噛み潰したような渋面やモノノケに憑かれたような笑顔しか思い出せない管理人としては(※)、

母の楽しそうな様子を見られたこと自体は、嬉しかったですね。

-------

母の騒音は、「大」音量というほどではないかもしれませんが、

実家は上下階の廊下が回遊式になっており、それを吹き抜けが二箇所でつなぐ開放的なデザインなので、内部には音が響きます。

私は徐々に睡眠不足になっていきました。

そのため私は、

・「私は朝から仕事なのだから、せめて真夜中以降はヘッドホンを使ってくれないか」とか「三時四時や五時まで歩き回らないでくれないか、気になるから」と頼んだのですが、

→何十回頼んでも、ほとんど聞こえないフリをされ、

・「睡眠不足が慢性化すると仕事に差し障るし、心にも身体にも悪い」と理由を挙げて頼めば、

→「身体や心が完ぺきに壊れちゃえば、一生働かないで食べていけるよ?いいじゃん仕事なんか。やんなくても。」と、真顔で冷静に、

たいへん曇りのない表情で言われ(さすが母)、

・じゃあ仕方ない、と声を荒げてしまう

→逆ギレされて夜中の三時四時まで正座させられ、物で殴られたり、

「明日仕事だから、寝ます。」とベッドに入っても、寝室に押し入ってきて殴られたり蹴られたり物を投げつけられたりで、

顔にアザを作った状態で出勤したり、首の古傷にもっかい挫傷を負って職を失い、病院に掛かったり、留学を諦めて仕事を探す破目に陥ったり……という、

わりと大変な毎日でした。

留学については、これほど危なっかしい母から資金を借りて続けるよりも、母自身の老後に備えて一円でも多く残させるべきだ、とも考えて継続を諦めたのですが、

ニュージーランドの学友や先生たちや、武術教室の皆に会えなくなったことや、彼らとの約束を果たせなくなったことは、辛かったですね。

まあ、こちらとしても、母が元々そういう人であるという厳粛な事実を忘れてしまった自分の判断ミスが招いた苦境だと思ったので、ブログにグチを書く気は、全く起きませんでした。

当時(2007年1月前後)のブログには、ほとんどそれらしい記事は出てきません。

考えてみれば、今の一人暮らしの部屋のような、「眠りたいときに安心して眠れる環境」というのは、管理人が幼かったころには存在しなかったし、

子供だった以上、自力では、願うことすらできませんでした。

それが、今は手に入るわけです。自分の力で。

大人って良いな、と、つくづく思います。

(※追記: こども時代でも、一応、母の普通っぽい笑顔を見たことはあります。しかし経験上では、たとえていうと台風の最中に現れた晴れ間が恐らく台風の目であるように、ここからが地獄の一丁目。って感じに暗転するので、結局、楽しい思い出ではありません。)

| | Comments (4)

Sunday, 16 March 2008

狐と踊れ

注:神林長平さんの同名の本とは関係ない内容です。

-----------------

小学生の頃、何かにつけて憑き物めいた振舞いをする母に振り回されながら、

管理人が幼心に考えたのが、「民俗学なんかの本に出てくる『狐憑き』とは、こういう状態だろうな」ということだ。

Continue reading "狐と踊れ"

| | Comments (8)

Thursday, 31 January 2008

一生使いたくない言葉(法規編)

先日の仕事中に「外国語表記をそのまま使ってる法律て有ったっけ?駄目だよね?」という話になった時、

頭の中を検索していて、「そういえば小学生くらいの頃、無線関連の法規で、MAYDAYとか書いてあるのを勉強したなあ」と、遠い記憶を思い出しました。

あれは外国の船舶との緊急通信や、テレックスなどの存在を前提に出来ているので、いくら日本語で書かれることを旨とする法規の文章でも、あちらさん表記をそのまま採用する以外に方法がないだろう、と考えました。

脳内検索だけだとオボロゲですが、今はネットがあるのですぐに特定できます。

「無線局運用規則(昭和25年11月30日電波監理委員会規則第17号)」

法律じゃなかったです。orz

ともあれ、"SILENCE MAYDAY"とか、"SILENCE FINI" とか、"SECURITE"とか、緊迫感溢れる横文字が随所に散りばめられています。

ただ、こういう信号について

かつて小学生(多分低学年)だった頃は「カッコいいなあ」と思いましたが、

「実際に使う機会なんて、一生来て欲しくないな」と思うようになった今の自分は、少しは大人になったんだろう、と思いました。

それ以前に

今後の自分は船乗りにはならないだろうと思いますが。

なると思ってたのか、小学生の自分……。

| | Comments (8)

Friday, 25 January 2008

他人の不調に対する鈍さ

わりと最近、近所の小母さんに連れられて、地元の聖職者で、精神状態が随分落ち込んでいるという方にお会いしたことがある。

痩せて骨ばった体に、皮膚が蝋めいた色に浮腫んでおり、目の硬膜には軽い黄疸が出ていて、呼吸も脈も見るからに弱く、

どうみても精神的な問題ではなく、腎臓や肝臓の不調を主に、身体全体が弱っているらしかった。

それを小母様に伝えると、

「そういえば前に先生がね、『子供の頃から腎臓が悪くて、薬を飲みながら頑張っていたんだけど、長年薬を飲みつづけた副作用で、肝臓を痛めた』って仰ってたわねぇ。」と納得していたが、

彼女はその時まで先生のお身体のことを忘れていたらしく、どうやら、「気合が足りないのよっ!」風の精神論で片付けたくてウズウズしていた様子だった。

普通の人の、他人の不調に対する鈍さというのには、時々、物凄く驚かされる。

浮腫や黄疸などは、誰から見ても明らかだと思っていたのだが。

| | Comments (0)

Thursday, 24 January 2008

大山阿夫利神社に登った時の話

15年くらい前になるが、一年の今頃、神奈川に住む従妹に連れられて、大山阿夫利神社に登った(「参拝した」というより、「登った」)ことがある。

「風景は綺麗だし、湯豆腐も生麩も湯葉も美味しいしで、もう最高。」

という訳で、その従妹は大山が大変お気に入りで、当時鬱々としていた管理人には、いい気晴らしになると思われたらしい。

この従妹と叔母は他にも私を温泉に連れて行ってくれたり(箱根方面だからか家の近くに温泉が多い)、鍼灸に連れて行ってくれたりした、良い人たちだ。

その鍼灸の先生に「実家暮らしでここまで衰弱してしまうのは普通ありえません…。」と言われていた管理人を、そのまま芦ノ湖マラソンに連れて行って伴走させてみようとした(で、「忘道ちゃん足遅いよね。」と素直に呆れた)、管理人以上に漢思考な人でもあるけれど。

それまで従妹に連れられていった足柄山とか早雲山とかでちょこまかと走り歩きする分には問題なかったので、元気だと思われていたのかもしれない。

さて、その日の大山は丁度オフシーズンだったせいか人けが少なく、健脚二人組で登るも下りるもフリーダムって感じで、駆け上がったり下りたりを満喫できた。

叔母もいたので「女坂」しか使えなかったが。

とはいえ、難易度の低い「女坂」でも、当時疲弊していた管理人は翌日以降心臓その他がガクッと来たし、フルマラソン上等。な従妹でも疲れたらしいので、

ふもとの資料で春日局が頻繁に参拝していたというのを読み、それまでただ嫌いだった春日局が、ちょっと感心な人に見えたのを覚えている。

もう少し鍛えて、今度は男坂で登ってみたいなあ。

| | Comments (0)

Monday, 21 January 2008

「それでも人生にYESと言う」

前回の記事のように、ギフテッドの特徴として

乳幼児期の子供にとって不適切なほどに強烈な内的経験があるけれど、

管理人の場合は、強制収容所の生き残りの人がご近所に居た事などのお陰で、フランクル的な「それでも人生にYESと言う」という態度を身に付けることができ、

結局、人間に絶望せずに済んだ。

自分は結構運が良い奴だ、と思っているのは、そういう経験があるお陰だ。(他にもあるけど、ネタみたいだから書きません:笑)

ちょうど内戦期のカンボジアの地雷原で育って生き延びた少年が、長じて地雷除去の達人として活躍したりするように、大抵の人生では、過酷な体験だろうと楽な体験だろうと、後々他人のために生かせるような何かを、掴みうるのだと思う。

| | Comments (0)

Wednesday, 16 January 2008

一年の24分の1が終わった

先日職場の人と「もう一月も半分過ぎたねぇ」というような話をしていた時、ふと気づいて

「ということは一年のうちの二十四分の一が、もう終わった。ってことですね。」と言ったら

自分を含めた皆が、しばし愕然とした(ような気がした)。

さて、新年の決意のうち、早めに出勤して一年の業務内容を復習する、という目標については、

「あまり早く出勤しても自分ひとりのために暖房を入れることになるわけで、コストだのエコだのを考えると何か嫌だし第一寒そうだ」

という、省エネ省コスト意識なんだか言い訳なんだかよく判らない理由で実行していない。という訳でこれから厚着して、ちょっくら試しに出勤してみようと思う。

男性勤め人は正式の格好が羊毛製品で重ね着が利くので、日本の夏はともかく北国の冬には羨ましい。

------

1/16 20時付記

とか言いながら、部屋を出た時点で気が変わり、結局、足を伸ばして、かつて父が死んだ病院を見に行ってから、出勤した。

時々、決意を固めるためにそういうことをする。

| | Comments (0)

Wednesday, 09 January 2008

母は鼻で笑うかもしれませんが

『誰が見ていなくてもきちんと暮らす』というのは自尊心を保つ上での基本だと思います。とりあえず。

なぜ「とりあえず」か、というと、俗にいう『毒になる親』には時々、

きちんと生きている子供が嫌い

という人がいるからです。

「いい子に見られたくてやってるだけでしょ?善人ぶってるだけでしょ?偽善的で心が卑しいよねー」という感じで。

身体的暴力等、明らかに道徳的に間違っている子育てならば、子供は『反撃しない』戦略を採用することで親よりも優位に立つことが出来ますし、万一の際にも自分を弁護できます。が、

『とにかくお前は道徳的に間違っている』というふうに、子供のあらゆる行動を否定する親の場合、子供は自分が道徳的に間違っていないことを、どうにかして証明しなくちゃいけないわけです。

けれど精神的虐待の場合、悪いことをしようが善いことをしようが、つまり

家事の邪魔をしようが手伝いをしようが、

遊びまわろうが勉強に励もうが、

ピアノをさぼろうがピアノの練習に打ち込もうが、

元気いっぱいだろうが寝込もうが、

とにかく『お前は間違っている』ことにされたりするので、子供としては、徐々に打つ手がなくなります。

そもそも子供のする「善いこと」なんて、アラを探したらきりがないでしょうにね。

子供のほうで、「自分は別に間違ったことをしていない」と自尊心を保とうとしても、その心構え自体が傲慢だ、と言われ続けたら、何だか納得してしまいますし。

---------------

世間には、「虚無的な生き方こそカッコいい、世間など偽善ばかり」「人間なんて所詮は悪さ~」と思っている若いのは沢山いますし、その心構えのままで親になる場合も、多々あると思います。

そのうちの大半は、子育てと共に「私が/俺がしっかりしなきゃ」と考え、それなりに道を模索し始めるのですが、

問題意識さえ持とうとしない人も、相当数存在すると思います。うちの親がそうでした。

父は途中までそうでしたし、母は今も、かなり、そうです。

世間知も経験値もない子供が、こういう親の下に生まれてから脱出に成功するまでは通常18年以上も掛かるので、

脱出の日まで心身の健康を保つのは極めて困難だったりしますが、

世界には多分、生き延びるだけの価値は、あると思いますよ。だから今そういう環境下にいる子供には、なんとしても踏みとどまり、生き延びることを勧めたいです。

私の母は鼻で笑うかもしれませんが(苦笑)

=========

平たく言えば、世の中には乳幼児のような精神状態の成人がたくさんいて、彼ら彼女らは、

甘えたり、しがみついたり、駄々をこねたり、泣きついたり、不機嫌になったり、切れたりすれば、

丁度理想的なママが乳児の夜泣きを扱う時のように、誰かが自分の気持ちを察して、欲求を満たしてくれるはずだ、と思いこんでいます。

客観的に見れば、単なる迷惑行為なのですが。

彼らは同時に、自分の親や家族との問題や、自分の背負うべき荷物からも逃げていて、「こんな自分を他人が幸せにしてくれるのではないか?」という、他力本願な、ありえない夢を見ています。

管理人はかつて「そういう人でも困っているのだから、放りっ放しにするのは良くない」「通りすがりの一声でも良いから、暖かい声を掛けよう」、と思っていたのですが、

そういう「乳幼児みたいな成人」の問題については、本人自身が

広い世界に出て、何年もの間失敗や恥を積み重ね、絶対的な孤独感のなかで痛切な内省を行い(+ちゃんとした栄養を取り、規則正しい生活を送って)、

時には専門家による、適切な距離を保った治療を受け、

やがては現実を直視する以外に解決策がなく、

他人が関わるのは寧ろ有害かもしれない、と思うようになった昨今です。自戒を兼ねて。

| | Comments (0)

より以前の記事一覧