Wednesday, 16 April 2008

食事・栄養療法について(一)

kana様と寂光様のコメントへのレスを兼ねて。

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先日の季節の変り目に、久々に軽い風邪を引いたときのこと。

一週間ほど連日、夕方4時くらいから微熱が出て、顔が熱くなったり、手足が重くなったり頭がボーっとしたり、という状態が続いたのですが、

その時、私は、仕事に支障がないように気を遣いながら、

考えてみれば数年前までは、長い間、こういう発熱や身体の重さとの戦いが日常的だったことを思い出しました。

それが日常じゃなくなった後も、留学の少し前まで頻繁にぶり返していたことや、

そのたびに内心で「大丈夫か自分?」と、不安になっていたことも。

当時、仮に親に相談しても、医療費の負担を愚痴られたり「死ね」と言われたりで、思うように病院に通えなかったし、

もし親戚に相談しても叱咤されるだけだったので、

できるだけ平気なフリをしていましたが、

今振り返ってみると「心細かったろうな自分」と思います。

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管理人が、「食事療法」「栄養療法」といえる考え方に初めて出会ったのは、大学入学のために上京し、いわゆる「寝たきり学生」を地で行く暮らしをしていた頃のことです。

週あたり数時間、瞬発的に頑張って、そのたびに燃え尽きて、残りの時間を寝たきりで過ごす…というような時期、下宿の傍の書店で見つけたアンドルー・ワイル氏の著書がそれです。(「ワイル博士のナチュラル・メディスン」等)

これらのお陰で、カフェインや甘モノを過剰に摂取することの悪さや、精白しない穀物の良さを知ることが出来ました。

が、当時の流行では、「こんな不調にはこういうハーブが効く」というような、西洋の薬草にスポットライトが当たっていたせいか、食事そのものには、深く踏み込みませんでした。

「基本の食生活をきちんと。」という世論自体、今ほど盛んではなかった。

当時の私個人は、豆やゴマや野菜やキノコや魚など、一見しっかり食べていました。

しかし、白いご飯を主食としたり、安い清涼飲料水を大きいペットボトルで買ったり、朝食を「甘いシリアルと牛乳と果物」などで済ませることには、問題意識を持っていませんでした。

もし私に母仕込みの自炊能力がなかったら、さらに既製品に頼っていたはずなので、その場合、この歳まで生き延びることは不可能だったかもしれません。(その点では母に、微妙に感謝しています。)

つづく。

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Monday, 07 April 2008

一緒に居ると元気が出る、と言われても。

自分を客観視する試み。

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管理人は、「あなたと一緒に居ると元気になる」だとか、「あなたを見ているだけで元気が出てくる」だとかいうお褒めの言葉を頂くことが、割と頻繁にあります。

物心がついた辺りから、ずっとそうでした。

で、

ひと様が元気になってくれる事は嬉しいにせよ、私個人は、この言葉が嫌でしたね。つい最近(今年初めくらい)まで。

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というのも、例えば

小学三年辺りで人生が既に非常事態だった頃に言われたり、

冗談抜きで衰弱死し掛けていた頃に言われたり、

先日に書いた、去年、母の問題で大変だった頃にも言われていたので、

その人々の大半が、私の元気さには無関心であることに気づいて悲しくなったり、

「ということは、ひと様に弱い部分を見せないのが、私の責任かもしれない」と考えるようになって無理をしすぎたり、

無理がたたって、暗い表情が抜けなくなってしまった自分に、更に自信をなくしたりもしたので。

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しかし考えてみれば管理人の人生は、どう転んでも、ずっとそう言われ続けるのだと思います。

何せ、あれだけ弱っても言われていたくらいですから。

だとしたら、ちゃんと食べるものを食べて、寝る時間を取って、笑えるときにはすかさず笑うなどしつつ自分を充電することも、大切にすべきなんだろうな、と

ここニ三ヶ月、考え直したりしています。

キザな物言いかもしれませんが、自分の運命を恥じていては何も始まらないですし。

自分の非力さや無知さ、限界を思い知ったり、取り返しのつかないことをしたり、散々恥ずかしい思いをしたり…という経験を踏まえてこそ、できることというのも、沢山あるでしょうから。

まとまりのない文章ですが、今日はこのへんで。

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Saturday, 22 March 2008

大人になって良かったと思うこと

管理人は、考えてみると身辺の記事を書くのが苦手です。

良い出来事も悪い出来事も大抵、一年以上経たないと、書く気が起きなかったりします。

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一年と少し前、年末年始休暇のつもりで留学先から帰ってきた当時、管理人はアルバイトをしつつ、母の暮らす実家で寝起きしていました。

ちなみにここニ・三年、私の母は、

まるで少女時代をやり直すかのように、夜中の三時・四時までヘッドホンも使わずに、ドラマやら映画やら音楽やらをガンガンと楽しむ生活を送っています。

生まれてこのかた私に母が向けた表情としては、苦虫を噛み潰したような渋面やモノノケに憑かれたような笑顔しか思い出せない管理人としては(※)、

母の楽しそうな様子を見られたこと自体は、嬉しかったですね。

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母の騒音は、「大」音量というほどではないかもしれませんが、

実家は上下階の廊下が回遊式になっており、それを吹き抜けが二箇所でつなぐ開放的なデザインなので、内部には音が響きます。

私は徐々に睡眠不足になっていきました。

そのため私は、

・「私は朝から仕事なのだから、せめて真夜中以降はヘッドホンを使ってくれないか」とか「三時四時や五時まで歩き回らないでくれないか、気になるから」と頼んだのですが、

→何十回頼んでも、ほとんど聞こえないフリをされ、

・「睡眠不足が慢性化すると仕事に差し障るし、心にも身体にも悪い」と理由を挙げて頼めば、

→「身体や心が完ぺきに壊れちゃえば、一生働かないで食べていけるよ?いいじゃん仕事なんか。やんなくても。」と、真顔で冷静に、

たいへん曇りのない表情で言われ(さすが母)、

・じゃあ仕方ない、と声を荒げてしまう

→逆ギレされて夜中の三時四時まで正座させられ、物で殴られたり、

「明日仕事だから、寝ます。」とベッドに入っても、寝室に押し入ってきて殴られたり蹴られたり物を投げつけられたりで、

顔にアザを作った状態で出勤したり、首の古傷にもっかい挫傷を負って職を失い、病院に掛かったり、留学を諦めて仕事を探す破目に陥ったり……という、

わりと大変な毎日でした。

留学については、これほど危なっかしい母から資金を借りて続けるよりも、母自身の老後に備えて一円でも多く残させるべきだ、とも考えて継続を諦めたのですが、

ニュージーランドの学友や先生たちや、武術教室の皆に会えなくなったことや、彼らとの約束を果たせなくなったことは、辛かったですね。

まあ、こちらとしても、母が元々そういう人であるという厳粛な事実を忘れてしまった自分の判断ミスが招いた苦境だと思ったので、ブログにグチを書く気は、全く起きませんでした。

当時(2007年1月前後)のブログには、ほとんどそれらしい記事は出てきません。

考えてみれば、今の一人暮らしの部屋のような、「眠りたいときに安心して眠れる環境」というのは、管理人が幼かったころには存在しなかったし、

子供だった以上、自力では、願うことすらできませんでした。

それが、今は手に入るわけです。自分の力で。

大人って良いな、と、つくづく思います。

(※追記: こども時代でも、一応、母の普通っぽい笑顔を見たことはあります。しかし経験上では、たとえていうと台風の最中に現れた晴れ間が恐らく台風の目であるように、ここからが地獄の一丁目。って感じに暗転するので、結局、楽しい思い出ではありません。)

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Sunday, 16 March 2008

狐と踊れ

注:神林長平さんの同名の本とは関係ない内容です。

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小学生の頃、何かにつけて憑き物めいた振舞いをする母に振り回されながら、

管理人が幼心に考えたのが、「民俗学なんかの本に出てくる『狐憑き』とは、こういう状態だろうな」ということだ。

Continue reading "狐と踊れ"

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Thursday, 31 January 2008

一生使いたくない言葉(法規編)

先日の仕事中に「外国語表記をそのまま使ってる法律て有ったっけ?駄目だよね?」という話になった時、

頭の中を検索していて、「そういえば小学生くらいの頃、無線関連の法規で、MAYDAYとか書いてあるのを勉強したなあ」と、遠い記憶を思い出しました。

あれは外国の船舶との緊急通信や、テレックスなどの存在を前提に出来ているので、いくら日本語で書かれることを旨とする法規の文章でも、あちらさん表記をそのまま採用する以外に方法がないだろう、と考えました。

脳内検索だけだとオボロゲですが、今はネットがあるのですぐに特定できます。

「無線局運用規則(昭和25年11月30日電波監理委員会規則第17号)」

法律じゃなかったです。orz

ともあれ、"SILENCE MAYDAY"とか、"SILENCE FINI" とか、"SECURITE"とか、緊迫感溢れる横文字が随所に散りばめられています。

ただ、こういう信号について

かつて小学生(多分低学年)だった頃は「カッコいいなあ」と思いましたが、

「実際に使う機会なんて、一生来て欲しくないな」と思うようになった今の自分は、少しは大人になったんだろう、と思いました。

それ以前に

今後の自分は船乗りにはならないだろうと思いますが。

なると思ってたのか、小学生の自分……。

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Friday, 25 January 2008

他人の不調に対する鈍さ

わりと最近、近所の小母さんに連れられて、地元の聖職者で、精神状態が随分落ち込んでいるという方にお会いしたことがある。

痩せて骨ばった体に、皮膚が蝋めいた色に浮腫んでおり、目の硬膜には軽い黄疸が出ていて、呼吸も脈も見るからに弱く、

どうみても精神的な問題ではなく、腎臓や肝臓の不調を主に、身体全体が弱っているらしかった。

それを小母様に伝えると、

「そういえば前に先生がね、『子供の頃から腎臓が悪くて、薬を飲みながら頑張っていたんだけど、長年薬を飲みつづけた副作用で、肝臓を痛めた』って仰ってたわねぇ。」と納得していたが、

彼女はその時まで先生のお身体のことを忘れていたらしく、どうやら、「気合が足りないのよっ!」風の精神論で片付けたくてウズウズしていた様子だった。

普通の人の、他人の不調に対する鈍さというのには、時々、物凄く驚かされる。

浮腫や黄疸などは、誰から見ても明らかだと思っていたのだが。

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Thursday, 24 January 2008

大山阿夫利神社に登った時の話

15年くらい前になるが、一年の今頃、神奈川に住む従妹に連れられて、大山阿夫利神社に登った(「参拝した」というより、「登った」)ことがある。

「風景は綺麗だし、湯豆腐も生麩も湯葉も美味しいしで、もう最高。」

という訳で、その従妹は大山が大変お気に入りで、当時鬱々としていた管理人には、いい気晴らしになると思われたらしい。

この従妹と叔母は他にも私を温泉に連れて行ってくれたり(箱根方面だからか家の近くに温泉が多い)、鍼灸に連れて行ってくれたりした、良い人たちだ。

その鍼灸の先生に「実家暮らしでここまで衰弱してしまうのは普通ありえません…。」と言われていた管理人を、そのまま芦ノ湖マラソンに連れて行って伴走させてみようとした(で、「忘道ちゃん足遅いよね。」と素直に呆れた)、管理人以上に漢思考な人でもあるけれど。

それまで従妹に連れられていった足柄山とか早雲山とかでちょこまかと走り歩きする分には問題なかったので、元気だと思われていたのかもしれない。

さて、その日の大山は丁度オフシーズンだったせいか人けが少なく、健脚二人組で登るも下りるもフリーダムって感じで、駆け上がったり下りたりを満喫できた。

叔母もいたので「女坂」しか使えなかったが。

とはいえ、難易度の低い「女坂」でも、当時疲弊していた管理人は翌日以降心臓その他がガクッと来たし、フルマラソン上等。な従妹でも疲れたらしいので、

ふもとの資料で春日局が頻繁に参拝していたというのを読み、それまでただ嫌いだった春日局が、ちょっと感心な人に見えたのを覚えている。

もう少し鍛えて、今度は男坂で登ってみたいなあ。

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Monday, 21 January 2008

「それでも人生にYESと言う」

前回の記事のように、ギフテッドの特徴として

乳幼児期の子供にとって不適切なほどに強烈な内的経験があるけれど、

管理人の場合は、強制収容所の生き残りの人がご近所に居た事などのお陰で、フランクル的な「それでも人生にYESと言う」という態度を身に付けることができ、

結局、人間に絶望せずに済んだ。

自分は結構運が良い奴だ、と思っているのは、そういう経験があるお陰だ。(他にもあるけど、ネタみたいだから書きません:笑)

ちょうど内戦期のカンボジアの地雷原で育って生き延びた少年が、長じて地雷除去の達人として活躍したりするように、大抵の人生では、過酷な体験だろうと楽な体験だろうと、後々他人のために生かせるような何かを、掴みうるのだと思う。

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Wednesday, 16 January 2008

一年の24分の1が終わった

先日職場の人と「もう一月も半分過ぎたねぇ」というような話をしていた時、ふと気づいて

「ということは一年のうちの二十四分の一が、もう終わった。ってことですね。」と言ったら

自分を含めた皆が、しばし愕然とした(ような気がした)。

さて、新年の決意のうち、早めに出勤して一年の業務内容を復習する、という目標については、

「あまり早く出勤しても自分ひとりのために暖房を入れることになるわけで、コストだのエコだのを考えると何か嫌だし第一寒そうだ」

という、省エネ省コスト意識なんだか言い訳なんだかよく判らない理由で実行していない。という訳でこれから厚着して、ちょっくら試しに出勤してみようと思う。

男性勤め人は正式の格好が羊毛製品で重ね着が利くので、日本の夏はともかく北国の冬には羨ましい。

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1/16 20時付記

とか言いながら、部屋を出た時点で気が変わり、結局、足を伸ばして、かつて父が死んだ病院を見に行ってから、出勤した。

時々、決意を固めるためにそういうことをする。

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Wednesday, 09 January 2008

母は鼻で笑うかもしれませんが

『誰が見ていなくてもきちんと暮らす』というのは自尊心を保つ上での基本だと思います。とりあえず。

なぜ「とりあえず」か、というと、俗にいう『毒になる親』には時々、

きちんと生きている子供が嫌い

という人がいるからです。

「いい子に見られたくてやってるだけでしょ?善人ぶってるだけでしょ?偽善的で心が卑しいよねー」という感じで。

身体的暴力等、明らかに道徳的に間違っている子育てならば、子供は『反撃しない』戦略を採用することで親よりも優位に立つことが出来ますし、万一の際にも自分を弁護できます。が、

『とにかくお前は道徳的に間違っている』というふうに、子供のあらゆる行動を否定する親の場合、子供は自分が道徳的に間違っていないことを、どうにかして証明しなくちゃいけないわけです。

けれど精神的虐待の場合、悪いことをしようが善いことをしようが、つまり

家事の邪魔をしようが手伝いをしようが、

遊びまわろうが勉強に励もうが、

ピアノをさぼろうがピアノの練習に打ち込もうが、

元気いっぱいだろうが寝込もうが、

とにかく『お前は間違っている』ことにされたりするので、子供としては、徐々に打つ手がなくなります。

そもそも子供のする「善いこと」なんて、アラを探したらきりがないでしょうにね。

子供のほうで、「自分は別に間違ったことをしていない」と自尊心を保とうとしても、その心構え自体が傲慢だ、と言われ続けたら、何だか納得してしまいますし。

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世間には、「虚無的な生き方こそカッコいい、世間など偽善ばかり」「人間なんて所詮は悪さ~」と思っている若いのは沢山いますし、その心構えのままで親になる場合も、多々あると思います。

そのうちの大半は、子育てと共に「私が/俺がしっかりしなきゃ」と考え、それなりに道を模索し始めるのですが、

問題意識さえ持とうとしない人も、相当数存在すると思います。うちの親がそうでした。

父は途中までそうでしたし、母は今も、かなり、そうです。

世間知も経験値もない子供が、こういう親の下に生まれてから脱出に成功するまでは通常18年以上も掛かるので、

脱出の日まで心身の健康を保つのは極めて困難だったりしますが、

世界には多分、生き延びるだけの価値は、あると思いますよ。だから今そういう環境下にいる子供には、なんとしても踏みとどまり、生き延びることを勧めたいです。

私の母は鼻で笑うかもしれませんが(苦笑)

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平たく言えば、世の中には乳幼児のような精神状態の成人がたくさんいて、彼ら彼女らは、

甘えたり、しがみついたり、駄々をこねたり、泣きついたり、不機嫌になったり、切れたりすれば、

丁度理想的なママが乳児の夜泣きを扱う時のように、誰かが自分の気持ちを察して、欲求を満たしてくれるはずだ、と思いこんでいます。

客観的に見れば、単なる迷惑行為なのですが。

彼らは同時に、自分の親や家族との問題や、自分の背負うべき荷物からも逃げていて、「こんな自分を他人が幸せにしてくれるのではないか?」という、他力本願な、ありえない夢を見ています。

管理人はかつて「そういう人でも困っているのだから、放りっ放しにするのは良くない」「通りすがりの一声でも良いから、暖かい声を掛けよう」、と思っていたのですが、

そういう「乳幼児みたいな成人」の問題については、本人自身が

広い世界に出て、何年もの間失敗や恥を積み重ね、絶対的な孤独感のなかで痛切な内省を行い(+ちゃんとした栄養を取り、規則正しい生活を送って)、

時には専門家による、適切な距離を保った治療を受け、

やがては現実を直視する以外に解決策がなく、

他人が関わるのは寧ろ有害かもしれない、と思うようになった昨今です。自戒を兼ねて。

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Monday, 07 January 2008

正月休みを終えて

正月休みを終えた今、頭の中が、随分すっきりしたような気がする。

9日間の連休とはいえ特に外出もせず、毎日3~4時間英語の論文を読み漁り、1時間ほど掃除洗濯や著衣喫飯に関わる他の時間はずっと来し方行く末について考えていたので、考えが整理できたのは、当然かもしれないけれど。

習字が趣味と言っている割に、書初めさえやらなんだ。

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管理人の場合、生まれつき「走る前に考えるより、走り出してから考える」性分で(走り出さないと判断材料が集まらないと思うので)、

悩んでも詮無いことを一々悩まない主義だし、

危機に際しても、××の一つ覚えのように即断即決即応しかしないので(これは半分短所だ)、

残る悩みといえば、

「短期間では結論が出にくいし、優先順位もさほどではないが、考え抜かなくては自他の命に関わるような事柄」

ばかりだ。

ま、国や会社やパパママに危機管理を委ねきったバブル期気分の人々やお子ちゃまでもない限り、「悩むことは自己憐憫」「死ぬ気で頑張れ、死なないから」なんていう杉●太郎氏の受け売りが妥当しない危機的状況が世の中に沢山あることはご存知だと思うし、

私も、重い悩みがあること自体は、問題ではないと思っているが。

管理人の場合は、そうだなあ、5・6歳くらいからいつも背負っているから、慣れているし。

代わりに悩んでくれる大人がいない…どころか、周囲が悩むべきことを悩まない大人たちで、まだ子供でも悩まないと周り全体が地盤沈下していきそうな環境だったので、否応ない。

有り難くないけどね。

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ただ、長年の間、置かれた状況が状況だったので、例えば長期的に考えるべき悩みであっても

今対策を考えないと、このままではジリ貧だぞ

というもの以外は脇に除けて置くしかなかったので、

長い間にそれらの考え残しが累々と積み重なり、まるで、思考の水路が詰まったようになってしまっていた。

かなりの間、何が悩み残しなのかすら把握できなくなっていたほどで、

例えば留学中でも、悩み残した事項を思い出すたびにポストイット等に書いて、部屋やら手帳やらに貼っていたくらいだ。

(これがまた、何かの弾みでポンと思い出したりするので、しばらくの間は手帳やポストイットなどを常に持ち歩かざるを得ず、不便だった。)

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父については、それなりに良心的な人間に成長してから亡くなったこともあり、もう、私が父の人生について、父の代わりに考え込む必要はない。悔やむべきことも、殆どない。悲しいことではあるが。

兄の悩みについては、兄を預かってくれている施設の人が兄と一緒に考えてくれるだろうから、私がすべきことは、今後くるはずの障害者福祉の縮小に備えて、超長期計画を進めることだけだ。

母については、本人は何も悩んでいないが、多分もう迂闊に死ぬような青臭い真似はしないだろうし、危なっかしいなりに稼ぐことを覚え始めたらしいから、その他のことについても失敗させ学ばせるしかないと腹を括り、

つい先頃、代わりに悩むことをやめた。

例えば、「父母が変な買い物をした時に備えて、流行の悪徳商法の動向や、クーリングオフ制度の改正を常に把握しておく」といったようなことは、小学生の頃からの私の習慣だったが

(ちなみにクーリングオフ制度って、本当に頻繁に変わりますよ)、

もう、そんな心配をしなくて済む。

母が持ち込んでくる例の余計な悩みが消えたのは、言うまでもない。

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こうして自分の悩みだけ考えればよい状態は、本当に心が休まる…というか、サクサクと思考が進むので、少し驚いている。

独立変数が「自分」一つだけになったシミュレーション、という感じで、色々な予測や計画が、本当に、本当に、本当に楽だ。

これまでの一生を費やして、ようやく、ここまで来た。

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Sunday, 23 December 2007

ガンプラに済まなさを感じた話

自分が今までにやった行動で一番自虐的な事は、もしかすると、中一くらいの時に

ガンプラを並べてエアガンで撃ったり、爆竹で吹っ飛ばそうとした事

かも知れません。

一言でいうと、

「と…取り返しのつかないことを、してしまった」

と後悔して、途中で止めました。

今これを書いていても、なんとも言えぬ嫌な済まなさが沸いてきます。

ジムとかボールとかに対し、あんな罪悪感を感じるとは意外でしたし、温存しておいた旧ザクとかに対しても、信じられないほど済まない気分になりました。

ストレスの溜まり具合がもう少し少なかった小学卒業くらいまでは、「銀色や茶色のプラカラーを買って来て、ヨゴシを入れてみる」とか、「なんかジオラマっぽいものを造ってみる」とか創造的なことをして発散できていたのですが、

ついに破壊行動に走ってしまった自分の弱さに、12歳なりに愕然としました。

他虐とは、自虐と表裏一体なのかもしれないと考えさせられた一件でした。

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当時の写真を見ると、病的に痩せている割にあちこちむくんでいて、心身ともに余程辛かったんだろうなと思いますが、

どう辛くとも中学三年位まで実力テストでは学年トップを保ち、ほぼ誰にも不調を気づかせませんでした。(授業をろくに聞けていないので、定期試験は四百人弱の中のベストスリー止まりでしたが)

当時はそれも自分の強さの証明だ位に思っていましたね。

十八才で家を脱出できる日を「あと十年」「あと六年」とカウントダウンのように待ちながら、

丁度崖っぷちに掴まった手がついに離れて、狂気へとゆっくり押し流されていくような幼少期を過ごす子供は、私以外にも沢山いると思いますが、

例えば、もし管理人がギフテッドじゃなかったら、

学校で、イジメに遭ったかもしれません。

父母からのネグレクトやモラハラを、乗り切れなかったかもしれません。実際、知恵や体力や、時には単なる幸運のお陰で助かった、と思えるような事態が何度かあったので。

自分では、自分はラッキーだったと思うようにしています。

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ちなみに当時好きだった映画に『誓いの休暇』があります。

二次大戦中のロシアを舞台にした作品で、

まだ幼い少年兵が、偶然ドイツ軍の戦車を破壊するという戦功を立て、数日の休暇を貰ったので、家に帰省しようとします。

ただ家に帰りたいだけなのに、道中で沢山の人から頼み事をされ、それに逐一応えて汽車の時間を逃したりしながら故郷にたどり着き、

(以下ネタバレなので、構わない人のみ反転で)

結局、母親に挨拶しただけで戦場に戻らざるを得なくなり、直後に戦死する。……という筋書きの映画ですが、

当時は、これを自分の人生に重ね合わせて見ていました。要は、自分の人生がこの先も長く続いていく、という感覚を失いかけていたのですが、

実は未だにこの『自分は明日も明後日も、無事に生きているだろう。』という、普通の人々が共有しているはずの前提が、ピンときません。

どうも、「恐らく自分は、いつか不慮の死を遂げるのではないか?」という恐怖が、どこか心の片隅に、まだ根付いているようです。

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Saturday, 22 December 2007

コネの宝庫だったかもしれないが

最近になって気が付いた事だけれど、管理人の父と母の境遇は、世間から見れば『コネ』の宝庫だったようだ。 だが二人とも今まで、コネに頼る様子を見せたことはなかった。

昔、身内の困ったさんにお互いの縁故で就職口を世話したのは良いが、案の定シュガー社員化されて周囲に迷惑をかけ、「お前何とかしろ」「あなたこそ」と夫婦仲が悪くなったことがあったりしたので、

(夫婦仲が悪いのは常のことだが)

自分自身がその「困った奴」になるのは、プライドが許さなかったのかもしれない。

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似た例では、以前、いとこが就職した頃、

「就活中、どこを受けても、『あ~コネですか~~(微笑)』という顔をされて、ほんっとーに嫌だった。そんな所は全部蹴って、意地でもオヤジの知らない会社を探し出して入るぞ、って決意するくらい嫌だった。ま~結局はバレたけど、入ったときは実力だったんだから、これからも縁故採用組扱いはさせないよっ!」

と憤然としていたことがある。

温室育ちの発想と言われればそれまでだが、未だにうだつの上がらない管理人でさえ、コネを頼る人よりも、いとこの気持ちのほうが、良く分かる。

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亡父は、生前の希望にもとづいて密葬に付したので、父の昔馴染みにはまだ、死を知らせていない。父が零落してからほぼ全ての旧友と連絡を絶ったせいもあるし、加えて死の前後から我が家が非常に混乱していたので、

未だに、葉書の一枚も出せていないのだ。

時宜を逸した挨拶とは全てそういうものだが、「今更出してもなあ」という感じがして、未だに手をつけていない。 

母は例によって何もしない。

父の飲み友達の、まるで歴史がかった同盟みたいな面子を思い出しながら、懐かしく感じると同時に、自分たちは全く別の世界に来てしまったな、と思う。

多分父にとっては、遠きにありて思うような友情…というか、アルト・ハイデルベルクの日々のような、俗気を持ち込みたくない、青春の輝きだったのかもしれない。

そんなことを思い出して、先日は少し世間離れした文章を書いてしまった。

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Tuesday, 04 December 2007

自分のこれまでを平たく言うと

平たく言うと自分のこれまでは、

①結婚前に実親の看護で既に燃え尽きてしまったような、

②あるいは統合失調と神経症の中間のような、

③というか今風の診断でいうと境界性人格障害のような、

そんな母親の元に生まれて、かなり大変な幼少期・青年期だった。(平たい説明か?これ)。

母の心の病については、まだ私が幼い頃、父が説得して、二度ほど精神科に通わせたことがある。二度ともお医者様にサジを投げられてしまい、治療にならなかったのだが。

お医者様いわく、

「本人には自分が病気だという意識がないし、治そうという意思が全くない。しばらく心を休ませましょう、という理由でなんとか服薬を納得させながら、問題意識を持たせようと話をしてみたが、できない。あきらかな自傷他害がない状態で、これ以上は治療を強制できない」という理由だ。

以来、家族で問題を抱え込み、面倒を見ることになった。

「家族で」…と言っても、

当時のわたしの家では既に父母の仲が崩壊しきっていたので、父は単身赴任という名目で逃げ出してしまい(現地に女性も作り)、当然、妻のケアなどせず、

兄は兄で、まだ全く物心が付いていなかったので、

実質的に、当時まだ10にもならない管理人が面倒を見るしかなくなった。

母のようなタイプの病人を看る場合、距離のとり方が難しく、下手に巻き込まれると専門家でも危ない…というのは良く知られていることだが、まさにその通りで、

当時から、母とは意識して距離を取ることを心がけていたわたしが母から「冷血」「死んだほうがいい人間のクズ」呼ばわりされるのは当然の成り行きだったし、逆に、母のカウンセラー役を務めていたわたしが母から「天使のようだ」の何のと呼ばれ、懐かれ、ベタベタつきまとわれたのも自然なことだし、

やがて、私が殆ど燃え尽きそうになったのも、自然なことだった。

現在でも母は、かなり地に足のついていない人だが、少なくとも『少し目を離すと自殺しそう』という状態ではなくなったし、露骨な妄想に駆られることも明らかに減った。傍目には幸せそうな、ごくまともでしっかりした専業主婦にさえ、見えるようになったほどだ。

これが長年の努力の賜物か、あるいは単に、母がイイ感じに枯れたお陰かは不明だが、ようやく私が自分の進路を選べる状態になったのは確かだ。

社会人が勉強するのは大変だが、少なくとも、一生勉強できないよりは遥かに良い。

だが、世間からみれば私達は、「ごくまともな、しっかり者の母親」と、「いかにも今時の、ふわふわした、いい年をして夢を追いかけているコドモ」なのだろう…と、時々思う。

母の面倒を見た子供時代は、かつての自分がそれなりに納得して選んだ道だが、こういう見方をされることは楽しくないし、納得が行かない。元々この手の事柄には誤解が付き物だし、容易に誤解を解消できるような性質の話でもない、とは言え。

母については、過去の困った記憶がまだら状に抜けているらしく、どちらかというと、上記の世間と同じような見方で私をみているので、正直言って、ときどきウンザリする。

過去を知っている親戚がいて助かるのは、そういう時でもある。

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Saturday, 29 September 2007

母の名台詞「あたしは今日から悪い子になる」

まだ還暦に届かない若さで私の祖母が死んだ時、

当時16歳だった管理人の母および歳の近い兄弟姉妹は、女親を亡くしたばかりの子供の多くがそうであるように取り乱し、

お互いに、決して言ってはならない事を、言い合いました。

おば達はそれでも、「年端の行かない子供同士、親の死という非常時に取り乱して口論になったとしても、他人なら許せないかもしれないけど、家族なら許しあうしかないじゃないの」と思っています。もっともな話です。

しかし、母の

「兄さんや姉さんや○○子が遊び回っていたとき、あたしはほとんど一人で母さんを看病していたのよ。兄さんなんか「家事手伝って」って頼んだら、あたしを殴ったのよ。それなのに母さんが死んだとき、『自分ばかり苦労したような口をきくな』とか『なによ犠牲者ぶって』とか言われたのは、何年経ってもさすがに許せない」という言い分も、もっともな話です。

母は当時「高校に通う→家に帰って家事→病院に泊まり込みで看病→翌朝またラッシュに揉まれつつ片道一時間半かけて通学」という殺人的な日課に耐えていたそうで

もう少しきょうだいが協力的ならば、母は疲労困憊の状態で看病にあたる必要などなかったろうし、そうなると、酸素ボンベの取り扱いを間違って親を事故死させる、という痛恨のミスも無かったかもしれませんからね。(注:当時は、完全看護というものが無かった時代です)。

ここまでは知っていたのですが、

おばによれば、母はその時「もう、良い子でいるのはやめる。あたしは今日から悪い子になる。」と宣言したそうです。

だろうなあ、、、と思いました。

さて、こういう出来事があって拗ねるのはもっともですが(むしろ真剣に生きているからこそ拗ねる事もあるでしょうし)

後年、その拗ね切った状態のまま所帯をもった事は、あまり感心できません。

その挙句、産まれた娘に対し、憎い姉や妹や「自分を置いて死んだかあさん」や、自分の欠点やら世界への絶望やらを一々投影して一々憎むのは、まったく感心できないことでした。

汚物の山でも上手く発酵させれば肥やしの山ですが、その汚物を子供という他人に丸投げしてしまっては、本人は何も学ばないし、成長しない。

難しいものです。

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Monday, 24 September 2007

偽善者と偽悪者と:その2

にはとり様から頂いたコメントへの返答を別記事にしてみました。

頂いたコメントに、へへへへへへ…と照れ笑いが止まらない自分がいます。

>自分自身の動揺
偽悪者が善人扱いされた時の「オレはアナタが考えているような良い奴なんかじゃない、汚れているんだよ(絶叫)」「あ~やっぱ悪いこと考えちゃダメだあ(涙)」という感じの動揺、ですね。

忘れもしない小学五年の母の日のこと。

当時は、父は「オレはすべてに復讐するんだ」とふて腐れていたし、母は歩く幻魔大戦だった頃で、両親のオイタから平和な日常を守るべく命がけで孤軍奮闘していた(つもりだった)管理人と父母とが、三つ巴の緊張状態にあった時期でした。

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Saturday, 22 September 2007

偽善者と偽悪者と

偽善者の化けの皮がはがれるのを見るのが好き、という人って、多いですよね。善人ぶった小悪人が、何かの拍子で醜い本性を晒す様は、いつみても確かに面白い。

ただ、快いとはいえません。

というか、偽善者よりも偽悪者のほうが、化けの皮が剥がれる様子が可愛いと思います。

偽悪者はもとより悪人が良心を手に入れたときに過去を振り返って陥る絶望だの、良心の呵責の生き地獄だの、その生き地獄に折り合いを付ける悪戦苦闘だのの方が、はるかに快いし、見ものな気がします。

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Monday, 17 September 2007

割と苦労している人間なりのダンディズム

「どんな苦境でも飄々と振舞うべし。むしろ冗談でも飛ばせ」というのは管理人の、幼い頃からの、譲れないダンディズムだ。

というのも、よくいる、安易に他人に泣きついたりする弱い奴と一緒くたにされることほど悔しい事は無いからで、

従って苦境の真っ只中に居ても、泣き言どころか顕在意識にさえ出さず、これ如き痛くも痒くもない、という顔で余裕をぶちかます主義だ。

己の力量が大半の人間を凌いでいることは昔から自覚しているし、そもそも人には、力量相応の責任を背負う義務と、その責任を少しずつ重くしていくことで自身を成長させる義務と、その重圧の下で、起居や衣食住から職務までの十全な自己管理を行う義務というものが存在するという信念があるので。

実際、私の周囲の人間は、ブログに書いてあるようなことは殆ど知らない。

ただ、数年前に気づいたことに、自分の体験を全て一人で抱え込み、「これ如き」と軽視する思考法には、重大な欠点がある。

それらのプラス面を評価することも、マイナス面を反省することも、難しくなるという点だ。だから、こうしてブログに書くことやそれなりの社会的資源の助けを借りて、おのれを客観視している。

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Saturday, 15 September 2007

こういう小学生もいるということで。

先日の小学三年の時の記事に絡んで、その前後の話。不幸ネタはまだまだ尽きません。

まぁ、前向きなオチをつけますんで、そう不安がらずに読んでください。

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私が小学二年生だった頃、母は、亡父の旧友から情報処理系の職を紹介された。

最初こそ入力事務だったが、間もなく生来の頭脳を発揮しはじめた。彼女なりに勉強に励んだこともあり、短期間のうちに、天才と称えられる程になった。

因みに、以前書いた「旦那より頭の良い嫁さんを貰えて良いなあ」の話は、父のその友人たちの間で、母の勤務先での評判が広まったことに、端を発している。

泣く子も黙る人々の後押しも相まって居心地が良かったようで、私としても、母が楽しそうに働く様子は心の慰めだったけれど、母はここを

一年か二年で辞めて、

家でクダを巻きつつ、あたしは再臨のメシアや再臨の何とかボサツなんじゃないかとのたまいつつ、周囲を静か~に呆れさせる日々に戻った。本人曰く、

「だって飽きたんだもん。」

80年代初頭は、日本語を処理する技術が飛躍的に発達した時期で、母は「その関係の別会社を作るから管理職に就かないか?」と抜擢を受けたのだが、

飽きたというより、出世が嫌だったらしい。

父はその頃不遇だったけれど、元々が母の圧倒的な天才ぶりに惚れた人で、彼女が職場で認められたことを喜んでいたから「お父さんより収入が多いのが嫌だった」というのは理由としておかしいし、

「お父さんが浮気を疑って、会社にまで電話を掛けてきて嫌だった」、というような弁解もするのだが、当時の母が男遊びをしていたのは事実だから、

そのりくつはおかしい。

退職直後には、男と心中気取りの失踪をやらかした程で、短期間とはいえ、私も肝を冷やした。

死なれることも嫌だったが、無邪気な兄に「お母さんは……お友達と旅行に行ったよ。」と嘘をつき続ける日々は、相当なストレスをもたらした。

藁にもすがる思いで走人足止めのまじないを掛けながら、母を初めとする世間の人々がオカルト趣味に逃避する理由を、理解できる気分に、なったりもした。

「自分ばかり苦労している」と思うほど馬鹿じゃないぞ、という自負はあったにせよ、「少なくとも自分は、日本全国の小学三年生の下位1%に入るくらいには、不幸なんじゃないか?」と思った。

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Sunday, 09 September 2007

信用できない人間に限って信用しろとキーキー言うアレ。

小学三年の頃、管理人は担任教師から色々と嫌われていたのだが、先生がおっしゃる注意や嫌みには、正当な事柄もあった。管理人が碌に授業を聞かずに外ばかり眺めていることや、随分と忘れ物が多いことであるとか。

ただそれらについてヒステリックに理由を訊かれても、まともに答える気がしなかった。まあ、8歳当時の私が迂闊だった理由を端的に書けば、

① 家では両親が離婚予定で私も父母から今後の行き場を選択するよう迫られています。両親の件に関しては近々抜本的な対策に出るつもりなので(注1)、頭の中でシミュレーション中です。

② 外ではこないだ性暴力事件という訳の分からんものに遭って、警察対応その他の疲れが抜けていません。

これだけなら私が心身を鍛えれば打ち勝てると思うのですが(注2)、

③ 幼馴染みが更に凶悪な犯罪にあった事だの、

④ 母親が子供時代に虐待されていた話だのを綿々と聞かされてウツになりそうですし、

というか母自体、時々発狂しますし、

③'  ③の幼馴染みとどういう顔をして再会すれば良いのか分かりませんし、

④'  ④の母についても何某かの手を打たなくてはなりませんし、

⑤ 近所の仲良しのおばさんが飛び降り自殺をしたばかりで微妙に凹んでいますし、

⑥ 凹むというか、ふと油断をすると自分も高所から飛び降りそうになりますし、

⑦ そんなこんなで、周囲の無邪気な子供には一層馴染めなくなりました。

⑧ 学者志望なのに、皆が私に追い付くまで勉強するなと命じられたのも、自分が段々錆付いていくのが分かるので嫌な気分です。やれと言われた以上はやり遂げる積りですが一体いつになれば周囲が私に追い付くのか考えると、気が遠くなります(注3)。

⑨ 先生のヒステリーで、級友たちが参っています。前の担任の時は皆無だった内輪モメが起きたりするので、私もフォローに気を遣います。

「……学業成績は文句ないはずだから、とりあえず授業中くらいのんびりと英気を養わせてください。」

という事なのだが、とてもじゃないが

言えんわな、というか

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Saturday, 01 September 2007

自分のスキゾイド的な部分

管理人には、他人と群れる趣味がない。必要さえあればそれなりに集団行動が出来るのだけれど、そんな用がない時は、一人でいる時間が至福のひと時だ。

ただ、小学校三年あたりに、偏狭な教師から

「特別な人間なんていないんだから、努力して他の人の見ているテレビを見たりして、話を合わせなさい。最初は無理でも、合わせているうちに楽しくなります」と怒られて、

「それなりに説得力がある。弱い小魚も、群れて身を守るものだし、言われてみれば私にも思い上がりがあった」

と考えて以来、二十数年のあいだ「普通の人」を観察し、可能な限り彼らの性質を学ぼうとしてきた。そうして努力を積み重ね刻苦勉励(注:誇張抜きで)の末、ようやく最近、職場で、他人と

毎日、一緒に昼食を食べられるようになった。去年は一ヶ月に数度だったし、大学の頃は一月に一度くらい、高校の頃は数ヶ月に一度、中学の頃は多分ゼロだったので、着々と進歩していると思う。

まさに努力と忍耐の賜物だと、自分で思ってい「た」。

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Thursday, 16 August 2007

チラシの裏に愚痴を書くというやつ

鬱憤やら不満やら愚痴やら泣き言やらを、チラシの裏に書いて丸めて捨てるストレス解消法、というのがある。

管理人には、めぼしいストレス解消法があればとりあえず試す習慣があるので、これもまだ小学生くらいの頃にやってみたのだが、結果として

ウチの母というのは、鞄や机の中はおろかゴミ箱のコンテンツまで検閲せずにはいられない生き物なのだな

ということに気づいただけだった。

不満を書いた紙を落ち葉に混入して裏庭でコソコソと燃したり等のバリエーションも試してみたが、何もしない以上に精神的にくたびれた覚えがある。そのせいか、親離れして以来随分経つが、これについては未だにやる気が起きない。

(面と向かって不満を言うと、どう言葉を選んでも無視されるか逆切れされるかの二択だった、というのはいうまでもない。管理人の場合、無視されても逆切れされても不満を言い続けるほうを選んだので、さらに疲れた。)

この手の環境で育った人間にとっては、ネットというのは便利なものだ。

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Tuesday, 14 August 2007

部屋を借りる動機

留学の前、父が死んだ病院を見渡せる位置に部屋を借りて、住んでいた。やや予算をオーバーしていて身の丈にあった住まいとは言えず、お叱りの声もあったが、私なりに考えがあっての行動だった。

私の世代には良くあることに、父親というのが「居るには居るのだが仕事のためほとんど身辺にいない存在」で、実の所どういう人なのか殆ど分からないままで先立たれてしまった。家族だというのに。

朝な夕なに父の死んだ場所を眺めながら色々考えたあの日々は、少々コストは嵩んだが、必要な時間だったと思っている。

そういう感傷とは異なり、今回の部屋は「夜9時に寝て朝3時に起きて勉強をしたり、あるいは軽く武術の練習をしたりしても他の住人に迷惑をかけない部屋」という観点で選んで借りた。

これまでの人生を自分以外のために費やしてきた管理人は、これから自分のために成し遂げたい事と成し遂げなくてはならない事が山ほどあり、時間が幾らあっても足りないので、障害は少しでも少ないに越したことはない。

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Saturday, 14 July 2007

十八歳の春について、走り書き

高校3年の今頃だったと思うが、クラスが進路選択の話で盛り上がっていたある日、近くの男子が

「ところで、忘道さんは東大へ行くの?」と話を振ってきた。

利根川進さんがノーベル賞を獲った直後ということもあって当時は「東大=官僚養成機関=研究メインで生きたい人にはちょっと辛い」「京大=放し飼い=研究者になりたい人向き」というレッテルが流布されていたし、

また、気骨のある地方人というのは概して東京に反発するもので、

あの頃、5教科7科目で偏差値70前後を確保した学友の間では「東大・京大の二択では京大」とする風潮があり、実際1:5くらいの割で後者に進むので、いきなり東大へ行くのかと訊かれたのには、やや面食らった。

実のところ当時の管理人は、養護の先生や、掛かりつけの小児科のお医者様に「忘道さんのお父様やお母様は、病院に行かせて下さらないんですか?」と泣かれそうになるくらい明らかに体調が悪かった。

養護の先生がお気の毒に思えてきて、保健室登校を途中で止めたくらいだ。

要は進路選択どころではなかったのだが、

膠原病(不治とされていた)などを抱えながらきちんと勉強している子も身辺にいたので、私としても泣き言をいうのは恥ずかしいと思い、周囲には可能な限り元気な様子だけを見せようとしていた。

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Friday, 13 July 2007

席を譲るのが好きというか

小学生くらいの頃からそうだが、管理人は、混んでいる電車で座席が空いても余り座らない。けが人や具合の悪そうな人や年配の人や赤ちゃん連れの人がいたら先に座ってもらうし、お疲れモードの勤め人風の大人にも先を譲る。つまり、余り座れない。

強い若者として、体の辛い人に座って頂くのは高貴なる義務の一つだと信じ切っているので、席を譲ること自体は気にならないが

最近気づいた。(この台詞、多いですね)

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Tuesday, 03 July 2007

自己管理について

ダニーデンの武術教室に、風邪にも関わらず出席したときの事。ややせきこんでいたので、時折、確かこの辺りだ、とウロ覚えの肺経を押していると、シモンズ師匠が

わぁ、肺経を押してるねぇ(^-^)

という感じの反応を示してくださって面白かった。ウロ覚えが正しかったのが嬉しい、というか何と言うか。

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Sunday, 17 June 2007

コーヒー占い&祈るということ

去年、クラス一同でケバブ屋に行った時のこと。食後に数人があちら式の煮出したコーヒーを頼んだ後、飲み干したカップで、誰言うともなく占いを始めた。

ラシードは北アフリカの遊牧民らしく(?)一番コーヒー占いが得意で、同じアラビア系でもサウジの都市育ちのアマーは適当なことを言うのだが、それはそれで談笑が盛り上がって、興味深かった。

その席にスノードン夫人が寄ってきた。夫人は若い頃にパフレヴィー朝イランの宮廷に寄食していたので、それなりにコーヒーを見られるらしい。

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Saturday, 16 June 2007

小学校の卒業文集

「過去の成功体験から自信の源を探す」と聞くと、どうしても話が遡る管理人。なにせ数年前までの約二十年は、だんだんヨレヨレに弱っていく一方の、失われた二十年だったので(苦笑)。

ちなみに私は、友人・知人の出てくる夢を滅多に見ない。たまに出るとすれば小学校か、あるいは去年の学友で、間が飛んでいる。

間の年月はずっとうつむき加減で、人と視線があう事を避けて生きていたので、そうなるのだと思う。

========

さて、マスコミにありがちな話題に、有名人やら犯罪者やらの子供時代ネタ、というのがある。

”卒業文集に出ていた作文の内容が尋常じゃない”とか、”寄せ書きに書かれていたクラスメイトの言葉が、今にして思えば……”とかいう、アレだ。

ちなみに管理人は、小学校の卒業文集では製作担当だった。

他人を「○○ナンバーワン」とほめるのは良いのだが、自分自身が少しでも絡む記事については激しくテレて、その挙句、あちこちで妙なことを書いている。

■中学にいってやりたいこと

「特になし」

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Thursday, 14 June 2007

歴史書の話、おまけ(短い。)

前々回の補足。

小学校6年でヘロドトスと司馬遷と(以下略)を買いに行った時、左記二者の著作は見つかったのだが、何故かアクィナスの「神学大全」なんぞを買って帰ってきた理由を補足。

特に史記などは文庫本でも全何冊もあって手が届かず、一冊だけ買うにも予備知識がなく、どれから手をつけてよいかさっぱり不明な状態

だったからだ。

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Saturday, 09 June 2007

悪く言いたくない人を悪く言わなくてはならない時

管理人の兄は心の病で社会に出られない状態で、今は国の福祉とボランティアの方々の尽力のお陰でなんとか平穏に生きていますが、それについて、母はこう言います。

「ずっと治んなくて良いよ。一生、ああしてれば良いと思うよ。 だって、働くのって、大変だから。」

……障がいを持つ方ご本人がこう考えて明るく生きるのならば理解できるんですが、実の親が終始こういう発言しかしないのは、どうかと思います。

冗談だと思いたいですが、管理人が死に掛けていた時もこういう反応が普通だったので、ひょっとすると、本気なのでしょう。

「悩んでも仕方ないから、人生は楽しく生きよう」という発想そのものは良いとして、ちょっと悩みから逃げすぎてやしないか。

でも管理人は、わりと最近まで「親というのは、どこの家でもこうなのだ」と思い込んでいました。なにせ、自分の親ですからね。悪い人だと思う、という発想が基本的に、ない。

善良な親御さんが世間にたくさん居る、ということを知るのは良いことです。生きる楽しみが増えるので。

でも世間をだんだん広く知った結果として、自分の親が「良くも悪くも普通の人」どころか、世界標準でどう酷く言われても仕方ないぐらいの人らしい、などと気付いてしまうのは、微妙なものです。

……書いていたら「別にいいや」と思えてきたので、この辺で。

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≪今日の「生きるヒント」≫

もし読者さんの親御さんが困ったさんで、言動がどうにもこうにも。…という時、他人に相談するためのヒント。

まず一言、「自分の親のことを悪く言うようで嫌なんですが」と、断りを入れてから話し始めましょう。一々言うまでもない前提なので、つい悪い話から始めたくなりますが。

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Friday, 08 June 2007

久しぶりに男脳・女脳検査

にはとり様から胸に沁みるコメントを頂いた直後なので、心の整理がつくまで軽い話題でつないでみたい。

久々の男脳・女脳検査。

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Wednesday, 06 June 2007

予測通り、などと偉そうに言っても

前回記事のタネ明かし。

「予測通り死に掛けた」と書くと、何やら予知能力みたいだが、

実はこれは、幼少期のいつかどこかで読んだエーリッヒ・フロムの言葉を、当時の管理人が鵜呑みにして、将来予測に使っただけだったりする。

鵜呑みにするあたりが、まだ小学生。で、

図星な経験則を得た上で生き延び、一線で活動しづつけ、著作を残すあたりが、さすがはフロム。

=========

※翌7日、0時付記:出典について調べた所、フロム「悪について」らしいと判明。用語が微妙に間違っていたので、訂正(誤→ネクロフィリア 正→ネクロフィラス)。あと、死に掛ける、という表現ではなかったかもしれない。

「悪について」は家の書架にあった記憶がないので、あるいは新聞か雑誌への引用を参考にした可能性あり。

余談だが80年代当時、心理学と精神医学と大脳生理学(あと、ついでに哲学)はそれぞれ巷で流行っていたが、同時にアホらしいほど反目しあっていた。疑う人は、その頃に専門家だった人に伺ってみよう。色々、変なエピソードを教えてくださると思う。

ともあれ当時、「こいつらは面子にこだわり過ぎて、知恵の貸し借りをして向上する気がゼロなんじゃないか?」と生意気なことを考えていたのを覚えている。

事情が事情で、「早く進歩してくれ」と子供心に焦っていたので、生意気は仕方ないかもしれないが。

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Sunday, 03 June 2007

前回の続き:いじめを片付けるコツ

前回の記事では、いじめを行う側の原因に軽く触れただけで、いじめられる側の原因を書かなかった。理由は

いじめられる側には、原因といえるものは皆無だからだ。

例えて言えば、通り魔事件のようなもので、基本的に被害者は、加害者の憂さ晴らしのために、アトランダムに選ばれるに過ぎない。「たまたまそこにいて、何やら手ごろに見えた/何やら敵対的に見えた」ただそれだけが、理由だ。

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Sunday, 27 May 2007

イジメだの授業中の私語だのについて

管理人は、イジメを受けた経験がない。

小・中と、別の組の人間からちょっかいを出されたことが数回あるくらいだ。何故か同じ組になればぴたりと止めてくれるので、寧ろ面白かった。

加えて、イジメのある学級にいた覚えさえ、ほとんどない。(ついでにいうと、私語のうるさい組にいた経験も、あまり、ない。)理由は簡単で、そういうものが視界に入り次第わたしが速やかに

潰すからだ。

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Wednesday, 23 May 2007

役に立たないムダ知識&自分の「社会性のなさ」について追記

人と雑談をしていて「素手で馬と格闘して倒す方法はあるか?」というような話題を振られ、「あの手の四つ足は大抵頭突きが強いし、かといって背後に回っても、蹴りが有るし」という手の打ち様がないことしか言えなかったのが残念で、

家に着くまで記憶の中を検索し続けた結果、一個ヒット。

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Saturday, 19 May 2007

自分の「社会性のなさ」について

管理人は、苦労人とは気が合う。相手がギフテッドだろうとなかろうと、年若だろうと年配だろうと、

アラビア人だろうとラオス人だろうとザンビア人だろうとアメリカ人だろうと、ツーカーと話が進むし、物怖じしない。

話が進むというより、労さずに分かり合えるので、気楽だ。

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Wednesday, 16 May 2007

手帳的メモ

「”蛯原友里”とは往年の名ボクサー、ユーリ”エビハラ”アルバチャコフの芸名に違いない。私が知らないうちに芸能界入りしていたのか。」

とつい最近まで思っていた私が、世間の若いご婦人の趣味や感覚に自分を合わせよう、と考えるなどとは、全くもって無理な試みだったと思う。

という訳で、ミニ更新。

■自分がここまで生き延びるのに役立った信条三つ

その一:どんな状況下でも、食事はしっかり取る。(よほど胃腸が荒れているか、わざと半断食するのでもない限り。)食欲がなかろうが高熱があろうが、少々あげようがくだそうが、或いはどんなに辛いニュースが入ってこようが、気にせず食べる。

しかも、できるだけ美味しく頂