ギフテッドとして知的欲求の誘爆を避けるコツ
最近身について良かったと思う習慣の一つに、
「思考が逸れそうになったときは、何に逸れそうになったのか、メモに残す。書き留めたら本筋の仕事に戻る」「書き留めたことは、空き時間が出来た時にやってみる」という習慣があります。
俗にギフテッドの思考は地雷原と呼ばれるほどで、日常のいたる所で知識欲の爆発を起こします。
下手をすると、ふとした刺激から次々と誘爆に似た状態に陥り、手が付けられなくなったりします。管理人も、例外ではありません。
最近身について良かったと思う習慣の一つに、
「思考が逸れそうになったときは、何に逸れそうになったのか、メモに残す。書き留めたら本筋の仕事に戻る」「書き留めたことは、空き時間が出来た時にやってみる」という習慣があります。
俗にギフテッドの思考は地雷原と呼ばれるほどで、日常のいたる所で知識欲の爆発を起こします。
下手をすると、ふとした刺激から次々と誘爆に似た状態に陥り、手が付けられなくなったりします。管理人も、例外ではありません。
もう年が明けてしまってからこう言うのも何だが、
管理人は、毎年、11月・12月が近づく度に、過去の嫌なニュースを幾つか思い出す。
人民寺院集団自殺事件は、その一つだ。
確か、ニュースが伝えられた最初は、
ガイアナ(という、いかにも熱帯的な名前の、アフリカだか南米だか世人の大半は知らないような国を、なぜか訪問中)の、米国議員を初めとする数人が、銃撃を受けた。
…というあっさりしたベタ記事の速報で、それを追う形で直後、
アメリカの新興宗教の信者が、南米ガイアナに移住して奇妙なコミューン生活を送った末に集団自殺を図り、老人・子供を含む900人以上が死んだ
というニュースが伝わってきた。
新聞に載っていたのはその900人の遺体の空撮写真と、倫理的に問題なさそうな近接写真だけだった(と思う)が、
建前として暴力的な要素は放映しないはずのTVでも、
この時の死屍累々たる映像は、その後何年も番組改変期でネタ切れになるたびに流れた(ように見えた)ので、否応なしに思い出す破目になった。
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事件そのものについては、幼いなりにミルグラム実験やスタンフォード監獄実験などを既に知っていたこちらとしては
人間は、元々そういう生き物だからな
という感想しか持たず、特に驚きもしなかったが、
「そういう生き物」を、自分は好きになれるのか?という点や
曲がりなりにもこの生き物の一員である以上、私自身や周囲の人間も同じような愚行に走りかねないという事実や、
私は今後、この生き物に適応しなくてはならないのだ、
という事について考えた時に、5才だった私は、心底、ゾッとした。
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あれから長年頑張った結果、今の私は少なくとも当時よりは人間好きになったが、
正直言って余り係わり合いになりたくない、と、未だにどこかで思っているのも、確かだ。
幼少期のギフテッドが、他の子供が気づかないような社会の現実に気づいて困惑する、という事は物の本には書いてあるが、私のケースは、その具体例の一つだと思う。
管理人は『大半の人の目には、明らかにギフテッドに見える』という特徴を持っています。「自分は知能が高い!」と言って回っている訳ではありませんが。
(話のタネとして言うことはありますが、当然、話半分にしか聞いてもらえませんって!)
それでも、大体誰とでも、しばらく真剣に切磋琢磨したなら、
”自分がこれまで常識としてきた「人」とこの人は、どうも別の生き物らしい”
ということは、納得して貰えます。
ただし、そうやって『別の生き物』と認識されること自体は楽でも、たとえば日本の学校ではこの種の子供の取り扱い方法が周知されていないため、大抵の反応は
「あなたみたいな子を、前に見たことがあるわ。あなたと同じく、誰から見ても頭が良すぎて、皆に馴染めなかったの。でも、その子がこないだ学校に挨拶に来てねえ、『大学に入ったら自由に勉強できるようになった!』って喜んでたわ。あなたもあと●年の辛抱よ」
という感じでしたが。
対照的に、ニュージーランドで通っていた学校の先生やスタッフの皆さん方はギフテッドを扱いなれていたらしく、
『地元のギフテッド児童向けサークルでボランティアをしませんか?』と誘われたりしましたし、
あるいは、先生方から放課後などに
『君のように明らかにギフテッドだと、小さい頃から周囲の期待の重圧に苦しんだり、高い基準を押し付けられたりして、大変だっただろう?』
…というような、ギフテッドに関する一般教養的な質問を投げかけられたことも、数度ありました。
当時の自分は、『親からは逆に、勉強を嫌がられましたよ(苦笑)』としか答えられませんでしたが、
今にして思えば、生まれてから今まで親には期待されない代わりに、他人からは大体、高い基準を課されてきましたね。
客観視と呼ぶには余りにもぶっ飛んでいて、現実の自分とかけ離れた期待で、確かに嫌でした。
社会人になってからも例えば、
例の、実家の父と母と兄が全員病気で働けず、とりあえず働ける自分にも実はドクターストップが掛かっていて、職場を一歩出ると廊下の角に頭をぶつけるくらいアレな状態で、とりあえず給料分の仕事しかできないって頃でも、まるで限りないポテンシャルを秘めた人材を見るような眼差しで、育成されそうになったり。
未だに心の中で「先輩方がっかりさせてすみません」と当時の関係者に謝ることが、時々あります。
「実はアレとかコレとか事情を抱えて働いているんです」なんて、当時は説明できなかったですね。職場から退職勧告をされたでしょうし、私の場合退職しても実家療養はかなり無理なので、飢え死にしたくなければ黙って働き続けるしかなかったわけですよ。
それほどヨレッとした状態でも、能力ありそう!と思われていたのです。
ただ、健康な今となっては、長所たりうる要素かもしれないと思いますね。信用を勝ち得やすい、ということですから(^ー^)
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ちなみに下は、ギフテッドの大人が日常で出会いがちな問題が活写された文章です。
Hoagies' Gifted: Optimum IQ: My Experience as a Too Gifted Adult
http://www.hoagiesgifted.org/optimum_intelligence.htm
管理人の中学・高校時代は家庭が一杯一杯で、学校とは、家では得られない休息を得るための場所だったので、
正直言って、学校生活についても授業内容についても、よく覚えていません。
惜しいものを逃したな、と思っています。
そのため今でも新聞等で夜間中学の記事を見かけるたび「いっそ中学から入りなおそうか」と思ったり、あるいは「仕事帰りに、定時制高校に通おうか」と思ったりすることがあります。
効率を考えると自習のほうが勝るはずなので、単なる未練にすぎませんが。
===
そんなこんなで先日、参考として、地元の進学校の生徒がどんな勉強をしているか?という新聞記事を読んでいたところ、
ある優等生の、確か学者志望の男子が「自分に知らないことがあるのが許せない」と言って頑張っているのを見て、
何となく不思議な感じがすると共に、
2歳5ヶ月のお正月に買って貰った伝記集にあった、ニュートンの死の間際の言葉を思い出しました。
その子供向け伝記の現物はもうありません。が、元は以下のような文らしいです。
I do not know what I may appear to the world,
but to myself I seem to have been only like a boy playing on the sea-shore,
and diverting myself in now and then finding a smoother
pebble or a prettier shell than ordinary,
whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
ニュートンの時代に比べ現代の科学が進歩していることは述べるまでもないですが、人間が知っていることよりも、知らないことのほうが遥かに多いのは、今も変わりありません。
「自分に知らないことがあるのが許せない」と頑張って、仮に一分野を徹底的に学んだとしても、それで真理を修得できたわけではなく、まだ荒削りで不完全な「なるべく真理に近い何か」を得たに過ぎません。
それらを大勢で根気強く削り上げ、磨き上げて、徐々に真理に近づけていくのが、恐らく、科学者の営みなんだと思います。(勿論、磨き上げた結果何も残らないことも、間々あります。)
科学者じゃない私が書くのも、なんですが。
ともあれ、折角覚えたものでも、そうやって次から次へと時代遅れになる以上、「知らないことはない」という状態には、決してなれません。
そうである以上、「世界には自分の知らないことが沢山有って楽しいなあ」くらいの、ゆったりとした態度で臨む事が、望ましい気がします。
「自分に知らないことがあるのが許せない」という意地は、ときに「自分に知らないことがあるのを認めたくない」という偏狭さや、安易な結論に飛びつきたがる知的怠慢へと、容易に転化しますし、
そういう自称「学者」がどれほど有害かは、敢えて書くまでもないでしょう。
ただしこの「自分に知らないことがあるのが許せない」という考え方は、小・中・高くらいまでのレベル、つまり、教科書の範囲をひたすら徹底的に修得すれば良い段階では、有利だろうな、とは思います。
その辺は真似しなきゃな、と考えています。
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子供時代の管理人は、覚えている限りずっと、学校教育という奴が嫌いでした。
大抵は「有力な仮説」や「便利な仮定」に過ぎないものを、これが不変の真実だ、唯一の正解だ、という態度で押し付ける不誠実さ(≒頭の悪さ)がそもそも嫌でしたし、
そういう教育で教わった内容を大人になっても引きずって、今現在の目の前の現実よりも昔覚えこんだ大学のテキストを信じるような、自称「学者」「知識人」「エリート」が、その辺にわんさかいるのも嫌でした。
(その意味で『大学には馬鹿しかいない』という母の言葉には、嫌な説得力がありましたね)
===
ちなみに、一昨年ニュージーランドで入ったコースは日本で言うと高校から大学一年にまたがるようなレベルの内容でしたが、授業の最初に
「別にここで教えることが真実とか正解とかいう訳じゃなくて、今の時点で、できるだけ真実に近いものを扱っているだけですから。」と謙虚で頭のいい説明があったので、
「じゃあ幾らでも徹底的に覚えてやろうじゃないか!」「こういう教育なら、付いて行っても大丈夫だろう」という気にさせられました。
===
ニュージーランドの大学の研究内容のほうが日本の大学の研究内容よりレベルが高い…とは言いません。高校以下に至っては、日本よりゆとり化が進んでいるようですし。
しかしニュージーランドの学校や大学の、先生たちや学生が持つ、上に挙げたニュートンの台詞にも共通する懐の深さや、お互いに無知であることを知る意識から生まれる絶えざる研鑽や、「毎日が下克上」的な活き活きとした雰囲気は、日本では稀有なものに思えました。
日本の場合、明治維新以来
「欧米の最先端の知識・技術を沢山輸入し、唯一の真実として国民に教え込み、鵜呑みにさせる」「この鵜呑み方式に疑問を差し挟む奴は、国の発展の邪魔」
というスタンスがあってこそ、ここまで産業が発達し、欧米に猛追できたわけですが、
産業では既に欧米に追いついた筈の現在になっても、
学術分野では、この鵜呑み方式を好む硬直した態度には、今の所、大きな変化がないように見えます。切り替わったほうが、国の(あるいは科学の)発展のためには、良いと思うのですが。
そのほうが、ギフテッドも暮らしやすくなると思いますし。
なんだかとりとめのない文章ですが、今日はこの辺で。
管理人がロータリーエンジン好きだった小さい頃。
ご近所その他の周囲の大人たちは、
マツダとかメルセデスとかポルシェのロータリーエンジン車にロータリークラブのステッカーを貼っていたので、幼心に大変紛らわしく、
当時の私は「ロータリークラブというのは、ロータリーエンジン愛好家の集いか、あるいはカーマニアの集いで、もののついでに慈善活動をするのだろう」と誤解していました。
まあ、マークだって車輪っぽいですし(言いのがれ)。
ギフテッドと言っても小さいうちは世間知が無いので、そんな風にお馬鹿な事を考えます。小さい子供が、よく、プリンスホテルとプリンを関連付けて考えるようなものですね。
ちなみに上記の記事のおばさんの一件は、マツダRX-7がまだ出回っていない頃の話なので、管理人が四歳以下だったことだけは確か。
たまーに、例えばライス補佐官のような人を引き合いに、現行のアメリカの知能検査ではIQ200なんて数字は有り得ない、ガセだ。というような説明を見かけますが、実はそういう記事は知ったかぶりをしているだけで、
海外のまじめーな文献には、普通に出てくる数字です(珍しい存在ではありますが)。
IQというのは大変大雑把な数字なので、細かい数字の違いに一喜一憂するものではないですが、
向こうの専門家が何故200とか175とかの違いに煩わされるのか、というと、ただ単に、明らかに扱い方のコツが違う、という経験則があるからじゃないかな、と思います。
前にも書いたが最近、勉強を兼ねて、医学・薬学・獣医学あたりの時事英語を触っている。
これらの分野に限らないが最近痛感するのは、
学究の道に進んだイトコや知り合いは、今は日々をこういう研究のただなかで過ごしていて、専門知識を積み重ねて、すでに最低でも十年以上の経験があるのだな、
私の記憶には幼い姿しかないあの子やらこの子やらも、今は、マンテル=ヘンツェルカイ二乗検定やらイェーツ補正やらを、まるで寝ぼけながら朝食を摂るように気軽に駆使できるようになったのだな、
彼ら彼女らと私の間には現時点で、たいへんな落差が存在するのだな、
ということだ。
そして管理人が日々の生活費を稼ぎ、何とか小銭を貯めようとしているこの先の五年や十年の間にも、例えば去年ニュージーランドで知り合った友人が、私より先に、進んでいくのだろう。
ただ何せ私は私なので、策を練り効率よく行動しさえすれば、まだ妥当なハンデの範疇だろうと思える。
例え将来、四十八歳で大学や大学院に入り直して、十八歳に比べて三十年のビハインドができてしまっても、『伝説の浪人 椿三十浪』って感じで、伝説を作れるんじゃないかとさえ、思う(管理人は浪人じゃないが)。
まあ、強がり抜きでも、
自分とは、学問を奪われたら生きていけない人間だと、親元での年月に明確に判ってしまったので、いずれにせよ、この先何年かかろうと、そのうち彼らと同じ場所に行くが。
海外では、日本より、年齢を気にされないだろうし。
ただ、もし似たような境遇で学問の道を志す小中学生がいたら、このことは言っておきたい。
下手に親元に残るより、施設等に行ったほうがいい。
成績優秀な子供であり、頼れる親がいないなら、国公立大学では学費減免だの何だのを受けられるから、大学進学を諦める必要はない。
あと、
親元にいればほぼ確実に身体・精神共に壊されるが、
施設の人には いい大人がいるかもしれない。悪い大人もいるだろうが、少なくとも自分の親よりはきちんと暮らしている、そんな大人に出会える確率は高い。
そして子供は、できるだけ、いい大人を見て育ったほうが良い。
親を残していくのは心配かもしれないが、よく考えてみろ。
大の大人がどうすれば自分自身を幸せにできるのか、という点については、本来は彼ら自身が考え行動すべき事であって、子供である君がそこまで背負うのはおかしい。
その意味で、
親元に残るというかつての私の判断は、どうやら間違っていたらしい。
勿論、判断ミスのままで終わらせたくはないが、いずれにせよ、どう願ったところで軌道修正は一朝一夕では済まないから、同じ苦労はお勧めしない。
…という検索ワードで当サイトに来た方がいらっしゃるらしいので、一応ギフテッドな母について書いてみる。
第一次ベビーブーム世代に生まれた彼女は、前にも書いたが、かつての全国学力テストで300万人くらいの同学年のうちで一位を獲った(全科目満点)。それにも関わらず本人は「あたしバカだから、大学に行こうなんて考えたことないもん。」程度の自己評価しかしていない。
ある日の管理人が「いや、少なくともテスト勉強には向いていたわけでしょう。」と訊いたところ、母は
「でもさー(不満そうに)。テスト結果が戻ってきた日にね、『みなさんも頑張れば、○田さん(←母)のようになれます』って、クラスで、せんせいがいってたよ。それはつまり、みんながそういう点数を取らなかったってことは、
みんなが頑張らなかった、ってことでしょ?」
と言った。
「いや、その300万人の中には、それこそ幼稚園に上がる前から家庭教師をつけて一日数時間勉強しているような人や、今現在、有名な学者になっている人もいたわけでしょう。」と私が押してみても、
「でも先生がそう言ってたんだよ?先生が嘘言うはずないもん。だからあたしが頭がいいわけじゃないもん」と譲らなかった。
今にして思うのだが、こういう親をなんとか説得して成績相応の進路に進もうというのは、ギフテッドによくある成功回避以前のハンデだったと思う。
去年の留学中、「ギフテッドの児童生徒が学級の中でどのような存在となるか」をいくつかのパターンに分けた本を大学の図書館で読みましたが、強いて自分をこの分類に当てはめるなら、"The hermit(隠者)"タイプだったように思います。
先日の小学三年の時の記事に絡んで、その前後の話。不幸ネタはまだまだ尽きません。
まぁ、前向きなオチをつけますんで、そう不安がらずに読んでください。
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私が小学二年生だった頃、母は、亡父の旧友から情報処理系の職を紹介された。
最初こそ入力事務だったが、間もなく生来の頭脳を発揮しはじめた。彼女なりに勉強に励んだこともあり、短期間のうちに、天才と称えられる程になった。
因みに、以前書いた「旦那より頭の良い嫁さんを貰えて良いなあ」の話は、父のその友人たちの間で、母の勤務先での評判が広まったことに、端を発している。
泣く子も黙る人々の後押しも相まって居心地が良かったようで、私としても、母が楽しそうに働く様子は心の慰めだったけれど、母はここを
一年か二年で辞めて、
家でクダを巻きつつ、あたしは再臨のメシアや再臨の何とかボサツなんじゃないかとのたまいつつ、周囲を静か~に呆れさせる日々に戻った。本人曰く、
「だって飽きたんだもん。」
80年代初頭は、日本語を処理する技術が飛躍的に発達した時期で、母は「その関係の別会社を作るから管理職に就かないか?」と抜擢を受けたのだが、
飽きたというより、出世が嫌だったらしい。
父はその頃不遇だったけれど、元々が母の圧倒的な天才ぶりに惚れた人で、彼女が職場で認められたことを喜んでいたから「お父さんより収入が多いのが嫌だった」というのは理由としておかしいし、
「お父さんが浮気を疑って、会社にまで電話を掛けてきて嫌だった」、というような弁解もするのだが、当時の母が男遊びをしていたのは事実だから、
そのりくつはおかしい。
退職直後には、男と心中気取りの失踪をやらかした程で、短期間とはいえ、私も肝を冷やした。
死なれることも嫌だったが、無邪気な兄に「お母さんは……お友達と旅行に行ったよ。」と嘘をつき続ける日々は、相当なストレスをもたらした。
藁にもすがる思いで走人足止めのまじないを掛けながら、母を初めとする世間の人々がオカルト趣味に逃避する理由を、理解できる気分に、なったりもした。
「自分ばかり苦労している」と思うほど馬鹿じゃないぞ、という自負はあったにせよ、「少なくとも自分は、日本全国の小学三年生の下位1%に入るくらいには、不幸なんじゃないか?」と思った。
小学三年の頃、管理人は担任教師から色々と嫌われていたのだが、先生がおっしゃる注意や嫌みには、正当な事柄もあった。管理人が碌に授業を聞かずに外ばかり眺めていることや、随分と忘れ物が多いことであるとか。
ただそれらについてヒステリックに理由を訊かれても、まともに答える気がしなかった。まあ、8歳当時の私が迂闊だった理由を端的に書けば、
① 家では両親が離婚予定で私も父母から今後の行き場を選択するよう迫られています。両親の件に関しては近々抜本的な対策に出るつもりなので(注1)、頭の中でシミュレーション中です。
② 外ではこないだ性暴力事件という訳の分からんものに遭って、警察対応その他の疲れが抜けていません。
これだけなら私が心身を鍛えれば打ち勝てると思うのですが(注2)、
③ 幼馴染みが更に凶悪な犯罪にあった事だの、
④ 母親が子供時代に虐待されていた話だのを綿々と聞かされてウツになりそうですし、
というか母自体、時々発狂しますし、
③' ③の幼馴染みとどういう顔をして再会すれば良いのか分かりませんし、
④' ④の母についても何某かの手を打たなくてはなりませんし、
⑤ 近所の仲良しのおばさんが飛び降り自殺をしたばかりで微妙に凹んでいますし、
⑥ 凹むというか、ふと油断をすると自分も高所から飛び降りそうになりますし、
⑦ そんなこんなで、周囲の無邪気な子供には一層馴染めなくなりました。
⑧ 学者志望なのに、皆が私に追い付くまで勉強するなと命じられたのも、自分が段々錆付いていくのが分かるので嫌な気分です。やれと言われた以上はやり遂げる積りですが一体いつになれば周囲が私に追い付くのか考えると、気が遠くなります(注3)。
⑨ 先生のヒステリーで、級友たちが参っています。前の担任の時は皆無だった内輪モメが起きたりするので、私もフォローに気を遣います。
「……学業成績は文句ないはずだから、とりあえず授業中くらいのんびりと英気を養わせてください。」
という事なのだが、とてもじゃないが
言えんわな、というか
管理人にとって会話能力習得の臨界期は恐らく3歳から4歳辺りだったと思う。
この時期に専ら科学読み物だの哲学書めいたものを心の友にして対等に話せる同年輩がいなかった為だと思うが、今でもまだ、思考は、まず文語体で生成される。
父も母もそうであったらしく、先日は母が「こないだ○○さんって人がバタイユがどうとか知ったかぶりしてたんだけどさ、普通の言葉で反論しようとしても、急いでいると思わず”然るに”"須く""曰く"とか出ちゃうんだよね。いちいち口語に直すのってめんどくさいよ~。」と嘆いていた。
彼女も、この「だよね」のような口調を身につけるまで、散々苦しんだそうだ。
前回書いたが、小学三年の時、やたらと器の小さい教師に担任されてしまったことがあった。
「パンを食べるときには一緒に牛乳を飲みなさい、ノドに詰まります」という不思議な理由で子供を叱るような先生だ。それほど狭量だから、その他の奇妙なヒステリーは枚挙に暇がない。
パンの件などは管理人は無視を決め込んでいたのだが、
一応、児童のことを気にかけているのか、あるいは無視されたのが嫌だったのか、
給食の時に「牛乳を飲まずにパンを食べてて、ノドに詰まったりしないの?」とこれまた奇妙に優しい口調でアフターフォローをされたのだが、
これに対し「……人は物を噛みながら唾液を分泌して、口の中である程度まで消化してから飲み込みますよね? 特にパンは主に澱粉質で出来ているので、唾液中のアミラーゼで(中略)。それに、食べ物は流し込んで食べてはいけないと思いますね。よく噛んで食べるものですよ、先生。」と切り返して
以来、嫌われた。
先日の話と同じ件で、おばと雑談していた時に、おばから「忘道は、本当にお祖父ちゃんに良く似ている。」と言われた。
祖父は今風に言うなら"profoundly"の付くギフテッドで、管理人の思考回路は基本的にこの人のコピーで出来ているので、まあそんなものだろうと思う。
祖父は大正末あたりに大蔵省に入省し、主計・主税・理財その他をくるくると回り、数寄者らしく理財で国有財産の面白さに嵌った辺りで、同期が次官になったので引退した。
ちなみにこれは、一線が同期(i.e.仲良し集団)で固められるのを防ぐための素朴なしきたりだと聞いている。
昔の次官は今よりずっと若い年齢で就くものだったので、同期はまだ隠居するには若すぎ、かつ別の職を探すには歳を食いすぎている、という微妙な年齢で引退しなくてはならなかった。
下手に自立しようとしても、武士の商法、つまり、人に頭を下げられないという致命的な欠点を修正する前に餓え渇えてしまったりする。
天下りが始まった所以である。
祖父の在省時の唯一の後悔は「ホバークラフトを開発する話に予算を付けられなかったこと。まだ軍部が煩くなかった頃だから、もう少し頑張れば通ったかもしれん。」だそうだ。
=========
管理人の母は、「偉い人」というものを物凄く軽蔑している。
「たとえば地方の税務署長とか警察署長とかって、まだ大学出たてのような、若い年齢で就くじゃない?送別会とか歓迎会とかをやるとさ、いつもは威張りくさってる地域の大人たちがそういう若い人にペコペコと媚びへつらってさ、
署長とかのほうも、ろくな実力もないくせにすっかりいい気になってたりするのよ。で、その当人がいない場では、みんな一斉に陰口をたたいたりするのよ。
そのくせみんなして、あたしみたいな子供にもペコペコ媚びて、ほんっと見苦しいのよ。
ほんと馬鹿みたいだった。」
確かに、人にペコペコされる側に良くいる、ゴマすりだのの詰まらぬ物事ですっかりおだてられてしまう人間というのは、私にとっても同様に、どうにも理解の範囲外だ。
美酒美食や美人をあてがわれようが金銀財宝を積まれようが
「何でぇ。いらねぇよこんなモン。」
と鼻で笑う国士というのはやはり格好良いし
自分に媚びへつらう人間を、一々気に留めるほどもない詰まらない生き物として見下してしまいそうになる、あたりまでならば、まあ、経験的によく理解できる、とはいえ、
考えてみればペコペコする側の、他人に頭を下げられる能力というのは一種の才能、プライドやプロ意識の現れで大したことだし(実際これは難しい)、
そもそも、大抵が面従腹背であることくらい双方共に分かっている訳で(分かっていない奴がいるとすれば大のつく馬鹿だ)、媚びられる側は自己点検と研鑽を欠かさず地位相応の実力を身につければ良いだけじゃないか?と
こういう母の台詞を聞くたびに思い、実際口にも出すけれど、彼女にはそういう理屈は通じない。
地位相応の実力を身に付けようなどという殊勝な人間が少ないことは確かに問題だが、真面目な努力家も、少なからずいるものだし。
「地位権力に無頓着な清貧」→貧しい、というのは妥当としても、貧しい→清貧 ではないだろうに、彼女は根っからお嬢なので、そういう区別が全くつかないらしい。
まあいいけれど。
まず、自分はなぜ、大人の望む「幼稚で無邪気で無垢な子供」になれないのかと悩んだ4歳頃の話。
知り合いの親切なおば様に構われて嬉しかったある日の事。
「おばさん見て!あの車、ロータリーエンジンの車だ!」
「あら?忘道ちゃん、ブーブーしゅきなのぉ~?」
「いや、車はあまり好きじゃないけれど、ロータリーエンジンは面白いな。あのおにぎりみたいな部分は数学的に美しい曲…」
「(言葉をさえぎる)そうでしゅね~」
管理人、車に興味がないおばさんにエンジンの話をしたのが悪かったのか?と推測。当時のマイ常識では全国民が毎朝チェックしているはずだった新聞やテレビニュースをネタ元にして、メジャーな話題を振ろうと考える。
「曲線といえばこないだ新聞にフェルマーの最しゅ」
「(必死で言葉をさえぎる)わー、ブーブーまたきたよ~かっこいいでしゅね~」
→おばさん、何気に怖い
→気まずそうな両親
→後で「あのおばさんは数学が苦手だから。数学の話は嫌がるよ」と耳打ちする母
→「ロータリーエンジン?ガソリンを食うだけだろあんなの」と吐き捨てる父
→訳が分からないまま「もう、他人様にロータリーエンジンと数学について語るのはやめます。二度としません。ゴメンナサイ」と凹みまくる自分
→その後しばらく「私は車をブーブーと呼ぶような幼稚な言動を期待されているのか?元はと言えば子供向けの図鑑がネタの話なのに、こういうレベルの話でも理解できない大人が、世間には多いのか?こうして、好きな話題を誰かと分かち合うことができず、自分を偽って生きなくてはならないのか?一体いつまで?ひょっとすると一生このままか?」と悩む自分。
こう書いてみると明らかに大変な幼児期。
==========
おまけ:当時、この手のことを母に相談すると下記のような反応が返ってきた。
母「一生このまま…って何?(笑) 人生なんてどうせ碌な事ないのに。命長ければ恥多し、っていうでしょ? 早めに死ねばいいのよ(笑)」
私「お母さんには…長生きして欲しいんだけれどな。みんなで長生き、したくないの?(すでに自分の相談どころではない気分)」
母「あたし早死にするから!絶対、ゼッタイ、長生きなんてしないから!!ゼッタイ、50までに死ぬって信じてるから。いいんだもん!!(断言)」
というような。
前にも書いた通り、母は自身の母親(私から見れば祖母)を高校時代に自分の看護ミスで亡くしていたし、他にも苦労していて、その上当時はまだ30前後と人間として未熟で当然だったので、これらの投げやりな言動も嫌というよりむしろ気の毒に見えていたのだが、親子関係の逆転した家庭で親の親代わりを勤めるのは、やはり大変だった。
それでも別の家庭の母親の精神状態の内実になど詳しくないため自分達を客観視できず、「実は全てが私の思い込みなんじゃないか?」という疑いを今まで捨て切れなかったのだが、
つい最近、おば(母の妹)と久しぶりに連絡をとった所、別のおば(母の姉)の一人がこんなことを言っていた、と教えてくれた。
「あたし、Kちゃん(母)の事がずっと気になっていて、、、あの子、放っておくと今にも死にそうだったから。でも、あの子とちょっとでも話すと、なぜか心が壊れそうになるの。私も自分の家族があるし、そのうち会いに行くのも、電話をかけるのも怖くなって、つい疎遠になってたのよ。。。忘道が同じことを気にしてたの、そうなの、、、辛いところを任せちゃったのね。でも忘道は、一人で本当によく頑張ったのね。
Kちゃんを死なせずに、ここまで生き延びさせるなんて、本当によく頑張ったと思うわ。」
この瞬間、管理人が心の中でガッツポーズを決めたのはいうまでもない。
管理人の故郷である北海道には産炭地が多くあり、ご存知の通り今は苦しんでいる。何やら世間では自治体の補助金漬け体質が悪いだの放漫経営が悪いだの住民が怠慢だのと非難されており、
実際、呆れる話も多いのだが、
財務官僚からみのもんた氏までが産炭地の責任だと知った口を利く様子などを見聞きしていて、「ああ、今の若い人は何も知らないのだな」とおかしく思ったので、昔話を書いてみたい。
34歳の私が年上を捕まえて「若い人」呼ばわりするのもおかしいが。
たいていの子供の身辺には「オマエも○○さんのようになりなさい!」と親から言われたり、あるいは「俺も/私も○○さんのようになりたい」と目標にされる子供がいます。
管理人もその一人で、
完璧な存在だと思い込まれるのは責任の重い、要は辛いことでした。
今まで生きていて、色恋めいた告白をされた事は(嬉しいことに)皆無ですが、同い年や年下の男女から「尊敬してます」と言われたり、
あるいは見知らぬ親から「私は○○(←全く知らない子だったりする)の親ですが、うちの娘が忘道さんの大ファンなんです。」「うちの子にも忘道さんのようになってほしくて」などと声をかけられるのは割とよくある事で、
そんな親御さんに担任から
「忘道さんのようになるのは無理ですから。」というツッコミが入ったよ、という話を耳に挟んだりすることなどもありました。
「た」というか、大人になってからも、似た話は時々あります。
子供時代に、完璧な存在だと思われるのがなぜ嫌だったかというと(まぁ、他に理想像を求める人々自体、そもそもあまり好きませんが)、
家ではおちおち睡眠さえ取れなかった管理人にとって、特に近所の自然破壊が進んで遊び場が減って以降は
学校が唯一、ダラダラのんびりできる場所だったからです。
あらかじめ但し書きを書いておくけれど、
管理人がいくらギフテッドと言っても、例えば2歳で国際関係のあらましが頭に入っているはずもない。世界史はそのあたりの中学生程度の内容を読了済みだったにしても、オーストリアとオーストラリアの区別がつくようになったのは4歳あたりだし。
ただ性格として、一旦何かに疑問を抱いたら
①安易に結論を出さないまま②何年でもその疑問に関して情報を集め続け③何年でも考え続ける という傾向があって、
多分これは、知能が高い人間の特質なのだと思う。
さて、管理人の日課に新聞をチェックするという行動が加わったのは字が読めるようになった頃、つまり1歳半くらいからで、とりあえず全面読むのだが(注:テレビ欄は無視)
勤務先の先輩が先日、「この辺でヘッドスパのある美容室、どこかないかなぁ?」と聞いてきた。
以前行きつけていた美容室で見かけた、ちょっとエスニックなヘッドスパのことを思い出して教えた。「わたしは受けたことがないし、ちょっと前にポスターを見かけただけですが、」と断りを入れながら。
「ちょっと前っていつごろ?」と訊かれたので、
管理人、去年あたりから最近にかけて気付いたことなんですが、世間一般には
理系で成績が良い子供→医者にしよう
と発想を飛躍させる人が多いですよね…。火星探査を目指せ、とか思わないのはまだ分かるとして(いや、思ってほしいですが)、理系オンチの人の発想って、ときどき不思議です。
今まで他人から 医者になれば?とか医者になるの?と決め付けられたことが度々あり、内心反論しつつも適当に流していましたが、ひょっとしてあれは誉め言葉の一種だったのでしょうか。
ちなみに管理人にとっての「世間」では、医者は、ごく基本的な職業の一つです。言葉を変えていうなら、「医者を目指すにあたっては、成績の良し悪しよりも決定的な向き・不向きがある、と大抵の人が認識している世界」とも言います。
その「世間」の進路選択の仕組みを簡潔にいうと、
まず10代後半になると「抽象的な学問で食べていくか」「実際的な学問で食べていくか」、を二者択一で選び(注:学究以外の仕事はあまり視野に入りません)、
後者を選んだ人のうち、さらに①生物系で、なおかつ②人間好きという二大条件を満たす人が選ぶ職業のうち、メインが医者。という感じでしょうか。
十代頃の、割と仲の良かった女子に限っても、三人は医者になっていて
三人とも、特に記憶に残るほど成績優秀では無かったのですが、
①ほどほど先進的で(先進的過ぎず)
②ほどほど保守的で(保守的過ぎず)
③ほどほど思いやりがある(思いやり過ぎない)
という感じの、独特の人格が印象に残っています。人間的な物事についてずば抜けた洞察力と平衡感覚を持つ、と言ったほうが適切かもしれません。
仲の良い男子には工学系が多かったし、私自身は高校時代ふらふらで進路を考える余裕がなかったので、一口に「医者になった元クラスメイト」と言っても正確に把握していませんが、十人くらいか、それ以上は居るでしょうか。(去年の留学を加えれば、更に増えるでしょうね。)その中での観察に限って言えば、
お医者さんになるのはだいたい、「利発で温和な人」、というイメージで一くくりに出来る一群でした。
私とは明らかに程遠い人格です。
さて、
「飲む・打つ・買うよりも知的鍛錬が楽しい」。「知的な労作に伴う快楽に比べりゃ、恋愛なんて退屈でしょうがないよ。」という、リビドーよりも強い知識欲…
というか人間味の薄い萌えはギフテッドの原動力ですが、人間味の薄さといっても
医者になって良いのは腫瘍萌え辺りが限度で
例えば
手術で珍しい腫瘍を摘出したら、至福の笑みを浮かべ
「この形ね、ね、すっっごく面白いですよぉっ♪ ほら~、ねっ?」と、手術台に寝ている患者の目の前に腫瘍の入ったタッパをかざして見せ、「培養したらどうなるだろ~」と何やら想像してうっとりし、「一秒でも早く保存したいんで、ちょっと席を外しますねっっ~♪♪」とイソイソと出てゆく人
…くらいまでじゃないでしょうか。
研究がメインでも時々は臨床に立たなきゃなりませんから、患者さんへの迷惑を考えれば、この辺が限度。
管理人のように、医学系の分野だと金属たんぱく質の振る舞いとか脂質ミクロドメインとか、医学以外では死火山とかに萌え感情をいだく人間は、成績が良かろうがなんだろうが、最初から医者を目指しません。ちなみに去年の留学では当初、目指していたのはメディシンではなくてバイオメディカルサイエンスでした。
毎日を出来るだけ萌え~な物で満たし、かつ人様の喜ぶ顔を見たい
というのは大半の人の進路選択の動機だと思います。
管理人もその例外ではありません。
うかうかしていると流されて医者になりそうで、実際、焦ります。
仕事帰りに本屋に寄り、ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』を買った。帰宅するまでの車中、約10分で大体100ページくらい、と普通のビジネス書並に速く読み進んだので、我ながら妙だと思い、
よく考えてみれば、これも小さい頃に読んだのだった。
管理人は速読術などは知らないので、これくらいのボリュームの普通の哲学書だと一冊読破するのに4~5時間くらいはかかる(と思う)。
読んだ事実を中々思い出せなかったのが不思議だ。
2歳ごろから国際ニュースをチェックしていたギフテッド、ということで、1975年あたりから以降の世界の出来事は、もしかすると、当時大人だった人の大半よりも詳しいと思う。
第一次石油ショックは私の生まれる前後のことで、当然覚えていないが、75年あたりから以降は、割と、記憶にある。
いじめ記事の補足。
小学四年だった、とはいえ、当時までに管理人は、とりあえず精神分析から当時流行の交流分析まで、父が大学で使った専門書を中心に一通り読んでいた。受け売りではない自分なりの消化も、できていたと思う。
その強みが有ったからこそ、色々と分析できたり、効率よく介入できたりしたわけだが
臨床経験を欠くどころか人生経験も欠く当時の管理人にとっては、かなりキツい世間の現実が見えてしまった。何気に、心の傷だ。
両親は管理人の学業にほとんど興味を示さなかった、ように以前の記事で書きましたが、先日話したとき母は、小学六年の時の管理人の、中学入試向け模試の成績を覚えていました。
何万だか何十万人だかが受けた中で、総合成績全国ベスト5かなにかに入っていたのだそうで。
私はよく覚えていませんが。(基本的に、この手の順位に興味がないので。)
母が、そんな些細な事まで覚えていたとは意外でしたね。
「そんな些細な事」、と書きかけてふと気付いたんですが、
たぶん世間の親は、自分の子供が上記くらいの成績を取った日には、「親戚・友人中に電話をかけまくり自慢しまくる」だとか、「宴会みたいな夕食を用意する」だとかで、
欣喜雀躍・感涙滂沱の大喜びをするんじゃないか?と思います。
よく判りませんが、去年、学校で友達たちを見ていて、(たぶんそうなんじゃないか?)と思うようになりました。
私の周囲のような「当然だろソレ位? 」という反応や、私のような「日本一で当然のはずがここまで落ちたのかよ自分は。無様だなあ」という反応は、かなり稀なんじゃないですかね。
以前も書いたとおり管理人の両親は二人とも相当なギフテッドでしたが、当時は二人とも、「頭の良い奴は、ビッグになろうなんて思わないものだ。世界を斜に構えた姿勢で眺めつつ、ニヒリスティックに虚無的に生きるのが最高」てな感じの考えが、抜けていませんでした。
全国○位? は、当り前だろ?みんな馬鹿ばっかなんだから。
馬鹿どもと真剣に勝負して、勝って喜ぶなんて、それこそ馬鹿だ。
…という感じの両親がいる家庭というのは子供にとって、勉強する気が殺がれがちな環境だ、というのは想像できると思います。
よく、ギフテッドの子供を持つ親御さんが、「自分もギフテッドだったら、子供のことを判ってやれるかもしれないのに」などと仰っているのを見かけますが、
人間が持つ「自分を基準に他人を判断する」という傾向はギフテッドでも変わらない、と思うので、成績の高さの有難みが分かる親御さんというのは、子供を伸ばす上で良い面が多々あるんじゃないでしょうか。
なんでも、ほどほどであるに越したことはないと思いますし、
何より大事なのは、親御さんの前向きな生き様を見せることでしょうからね。
管理人、この一点は、痛切に身に沁みています(苦笑)。
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同日23時付記:当時はまだ生きるのに必死で、勉強どころではなかった時期です。
勉強した覚えのないことで良い点を取るのは、実感が湧かないのを通り越して、とても嫌だった、気がします。
先日、幼少期に読んだキェルケゴールの話題に少し触れた。
読んでも心を動かされなかった、ように書いたけれど、考えてみればその後の生き方はどこと無く「不安の概念」的だ。結局、
影響されていたのだなあ。
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管理人が哲学好きだったのはせいぜい6・7歳くらいまでで、その後は猛然と哲学嫌いになったので(多分、親の失業などの影響)、従ってキェルケゴールは家にあった「不安の概念」と、「死に至る病」を読んだきり、最近まで触れていない。
ちなみに、いずれも旧字体の本なので、難儀しなかったのか?と思われるかも知れないが、
別に?
保育園に入るころでも、それくらいの漢字なら、新旧問わず、読めたので。
……で、小学校に上がった後は(親や先生の言いつけを守って)勉強しなかったので、時々作文や漢字テストで「でんとう(電燈)」などと書いては、先生から妙な顔をされていた。
あと哲学というと、仏→日翻訳モノには、どれも往生したなあ(正直申告)。
今読み返したら、どんな感じだろうか。
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ちなみに2、知能は高ければ高いほど良い、と思う人もいるらしいが、例えば管理人だと保育園くらいの頃は、毎朝のように
新聞でみた、無認可保育などで粗雑に扱われて死んだ子供の話を思い出しては、「私は恵まれているんだ」「恵まれているのだから絶望などせずに、頑張らなくては」と心の中で唱え続けていた。
それが私の、「人生で一番悩みの無かった時期」だが。羨ましいものかな。
というわけで父の友人の話は、しばらく保留。
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管理人が、その他大半の人に馴染めない理由の一つを、すこし考えていた。
管理人は小さい頃からずっと、早く大人になりたいと思っていた。責任と権限と能力とを併せ持った、独立した大人に。
「自分がこんなに馬鹿でさえなければ」、「もっと力があれば」、「もっと知恵があれば」、「もっと人生経験があれば」、「経済力があれば」、「腕力が、脚力があれば」、
そうやって「自分が子供でさえ無ければ」、と思うことばかりの子供時代だと、当然、早く大人になりたいと思うようになる。
だから現状の、まだ非力な自分が「大人」だとは、全く思っていない。
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ブログに幼い頃のことばかり書いているのは、7歳で自殺を図って以来ずっと今まで、「活き活きした記憶」という奴がないからだ。
とりあえず感情を押し殺して、
大人たちから無用な口出しをされれば黙殺し(すべきことは誰より自分が知っていたので)、
級友などの、同年輩の子らが甘えてくれば跳ね飛ばし(構うほど時間がなかったので)、
どうにも助けなきゃならないものは助け、
あとは、自分の理性で「最低限これをすべきだ」と判断した思いつき(和漢洋の古典を一通りこなす、であるとか、組織管理能力を身につける、であるとか、身体を鍛えることだとか)だけをひたすらやり続けて、7歳からここまで来た。
やる気が出なかったら風呂場で頭から二三杯冷水をかぶってでも、やっていた。
親だのトモダチだの知ったこっちゃねぇよ。という感じで。
当り前の行動のような気がしていたが、これを書いていて、なんだか鬼気迫る七歳児だと思った。
がむしゃらに走り続けた二十数年、というと格好いいが、正直後半の十数年はヨレヨレの、きわめて格好悪い様をさらしていたと思うので、私個人は嬉しくない。
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管理人は生まれてこの方「大人のいうことを聞くイイコちゃん」という奴が、嫌いで嫌いでしょうがない。昔も、今もだ。
親孝行とか礼儀作法という言葉は好きだったが、そのわりに、可愛げのない子供だった、という一点に関しては、物凄く自信がある。
ペット化されるのも家畜化されるのも嫌だったので、仕方ない。
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お受験組等に多数いる、「敷かれたレールの上を走るのが嫌~」な人々VS
泰緬鉄道敷設みたいに努力と根性で道を切り開くしかなく、じわじわとしか前に進めないわ格好悪いわで正直言って「こうやって汗水たらして、実際にレールを敷いてみろ。贅沢いいやがるなよ」と時々思う、管理人などの、小数の人々。
今時後者は少ないので肩身が狭いが(いくらギフテッドの私でも、レールを誰かが敷いて誰かがバッチリ整備した環境を走る人々とは、同じ速さで走れない)、
常に自分の心身のスペックの限界を試し続けてようやく生きていける半野良生活、というのは、他人に飼い殺しにされる大半の人よりは強くなれると思うので、
少々世間に馴染めないくらいは、まあいいや。
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甘えたり甘えられたり出来る人間になろうとしたこともあるが、
正直言って、ペット化された人々の甘えの強さ、自我の弱さ、甘い世界観というのは、どうにも苦手だと、思い知らされることが相次いでいる。
剛毅な生き方が馴染まない世の中なら、適応する必要はない。
「心理学者にとっての知能指数とは、泥酔者にとっての街灯のような存在だと思う。道をてらす光としては役に立たないが、しがみつけば転ばずに済む。」
ギフテッドが学業不振に陥った場合、周囲はその子供の元々の知能にふさわしい成績を取れる状態を目指して介入する。・・・という話を、(日本以外では)聞く。
ただし管理人の子供時代の場合、この「相応の成績」というのが、「300万人に1人」という数字から単純に見積もって
どう転んでも全国1位で当然
…だったのが運が悪かった。
こんな数字をあげる奴が周りにいたひには、「ちったあ肩の力を抜け」「凡人だって良いじゃん?むしろ普通に戻れよ」と頭を押さえたくなる人が出てくると思う。
管理人の両親が典型だ。
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対照的に、幼い頃の筆者には「互いに遠慮せずにツッコミをかましあえるライバルが居ないとしたら、嫌だな。」という一点が辛く、
「でも日本の総人口は一億二千万以上だから、年齢さえ気にしなければ、四十人はライバルがいる」「ましてや世界の人口は四十五億人(当時)だから、単純に考えても、千五百人はライバルがいる。その中で埋もれずに抜きん出るには、やはり努力が欠かせないなあ」と思い直すことで、救われていた。
そのように張り切って入学した小学校で、毎日何も出来ずに座りながら、見たことのない世界の千五百人が、この瞬間にも着々と力をつけている場面を想像し、徐々に気が滅入っていった。
就学前には大卒レベルの哲学書や心理学の専門書を読みこなしていた管理人の発達はJ.S.ミルと同じか、やや早い位だったと思うが、そのJ.S.ミルが親の熱心な教育を受けて育ったことから類推して、『どこかに恵まれたライバルがいるかもしれない』と思い、焦った。
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そんな6・7歳の頃、一度だけだが、「自分はこの世で一番不幸なんじゃないか?」と思ったことがある。それほど確率的にナンセンスな発想をする衰弱した自分を、自分で笑ったのを覚えている。
家の書棚のキェルケゴール「不安の概念」なんぞをめくっても気は塞ぐ一方だったので(彼の来歴を知ってしまうので。あれは滅入るぞ。)、以来現実を見て、逆境に負けずに頑張っている人を探しては、励みにしてきた。
おかげで自分の恵まれようを知ることができたし、人を見る目も肥えたし、なんとか自殺せずに、生きてこられた。
代りに、「不幸な話に目を向けすぎて、世界観が暗くなった」という短所があることに、最近になって気付いた。「世界の人の大半は教育に恵まれないのだから、上記の千五百人のライバルの大半も、教育の機会を逃すのだろう。自分が恵まれていることを忘れてはいけない」と考えての行動だったにせよ。
「ポルポト政権下のカンボジアに生まれたギフテッドだっているんだ。」「日本のギフテッドだって、マイノリティに生まれたら、私よりもっと大変なはずなんだ。」…などと、
世界は薔薇色だと信じていたい年齢に
現実の暗黒面を見すぎたのは、両刃の剣かもしれない。
三歳の頃に中耳炎にかかって、少々こじらせたことがあります。
最初に行った耳鼻科は乱暴で、①鼓膜の中に溜まった浸出液を、注射針を刺して吸い取る ②同じく注射針で、薬(多分、抗生物質)を注入する
という感じでした。
ありえません。素人の母ですら「そんなことをしちゃっていいんですか~(※)」と半泣きで抗議しましたが、センセイは「いいんです」の一点張り。治療中、泣かないようにこらえるのが大変でした。何せ痛かった。
エリクソンの「自我同一性」を初めて読んだのは、3歳になる前後のことだ。
3歳くらいからは、屋外で長時間遊べる免疫力や、筋力がついたのだと思う。しかしそれ以前はまだ疲れやすく、体調を崩しがちでヒマを持て余していたから、時間に任せて、親の蔵書を読みまくっていた。
両親ともgiftedだからか、世間でいう難しい本しか持っていなかった。それでも本三昧の毎日は、ただ純粋に楽しかった。
親の蔵書の中では、海外ものを中心に読んでいた。大半が、人文・社会科学だ。一応和物フィクションもあったが、読まなかった。というのも、吉本隆明さんや大江健三郎さんや埴谷雄高さんなどで、文体が凝っていて、子供には読みづらかったせいだと思う。
まずウェーバーなどの、理屈・文体共に簡単なものから始めて、3歳の終り頃にはニーチェ「善悪の彼岸」、カント「純粋理性批判」、ヘーゲル「法哲学講義」などの、父が大学で使った本を一通り読みくさっていた。
今どきの学生には抜書きだけを読み齧って済ませる者も多いらしいが、私の場合はこの時期の読書のお陰で、世間の抜書きがいかに頼りにならないかを、知ることが出来た。爾来、そういう安直は、軽蔑している。
こどもらしく児童文学の楽しさを知るのは、その後、兄が幼児教室に入ったことで色々な作品を紹介されて以降だ。それ以前は、絵本の類いを全て見下すような、思い上がった子供だった。
たしか「精神年齢二十歳」と自称していた記憶がある。
幼児教室で兄に好きな子が出来て、「あのね、●●ちゃんはね、ママに似ているから好きなの♪」と言っている横から、「ああ、それはエディプスコンプレックスという奴だね。フロイトがいうには(以下略)」と口をはさむような三歳児だった(嫌な妹だな)。
なぜ難しい本を好んで読んだか、と言うと、「親が、そういう世代だったから」という部分が大きい。ただ70年代半ばの、教養主義の最後の時代とはいえ、大半の若者は、仲間の前でこそ小難しい議論を好んでも、家庭内では人気歌手だの、ドラマだのの話をしていたのだと思う。
しかし実家は、茶飲み話や酒のサカナがドラマでもスターでもなく、そのまま「難しい」話題の家だった。つまり、楽しいお喋りに平気で「正・反・合」「止揚」などの哲学用語が混ざったりする。
チリ地震で津波が起きれば、地殻や海洋の話をおかずに朝食を食べ、スリーマイルで原発事故が起きれば原子核物理をネタに夕食を食べ、中国で江青(毛沢東夫人)が裁判に掛かれば妲己から西太后までの悪女列伝を肴に酒を飲んでいた当時の実家を、管理人は、今でも、ごく普通の、誰もがそうやって育つ環境だと、どこかで思っている。
ドラマや映画や流行歌手が話のネタになる家族や友人関係、というのは、想像が付かない。頑張って想像してみても、酷く中身がないなあ、としか思えないし、明らかに居心地が悪そうだ。
そして子供は、大人の真似が好きなものだ。
そんな理由から、早く大人の会話に混ざれる知恵を付けたかった、という思いが読書の動機として、強く働いていたような気がする(余り覚えていないが)。
語彙力はどうしていたんだ?と思われるかもしれない。これについては、赤ん坊の頃からそういう日常会話に囲まれて育ったお陰で、問題なかったのだろう。仮に知らない単語でも、親に聞けば知っていたし。
分かり易いものばかり、選んで読んでいたし。
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そんな頃に読んだ「自我同一性」でエリクソンは、天才として有名な、ジョージ・バーナード・ショーの自伝を引用していた。ショーは確か、
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