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Sunday, 13 April 2008

身体の使い方への無知

頂いたコメントに詳しい返答をしようとすると、まだ目と鼻の奥が痛くなるので、若干角度を変えたコネタを書いてみます。

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まだ十五か十六の初夏、ふとした理由で営林作業に駆り出された時のこと。

当時は初めて首を痛めた直後で、余り動けなかったのですが、気にせずに参加しました(※)。

山に到着して、道具を選ぶことになった時、

私は調子が悪かったこともあって、その日の得物に大鎌を選びました。立てると胸の高さくらいの柄に、肩幅くらいの刃が付いた…というか、端的にいうと、死神の首狩り道具みたいな鎌です。

刃付けが良いうえ、研ぎについても、実際に髪の毛を削げるくらい丁寧に仕上がっていたので、私としては理想的な選択だと思ったのですが、

周囲には「そんな怖いものを使うの?」と驚かれました。

「今日は調子が悪いから。」との説明で納得してくれる人は、いませんでした。

このほうが楽だ、と言っても信じてくれないどころか皆が怖がることに、逆に私が驚きました。

大鎌はテコの原理を活かせるし、

立ったままで作業できるから楽なのだ、と言っても。

対照的に、普通の草刈鎌では、一日中屈んだ姿勢で作業しなくてはならないし、身体の近くで刃を動かす以上、危険度は大鎌より高いのですが…。(慣れない人が使うと、自分の向う脛をザクっと切る、等の事故が良くおきます)。

飲み物についても、

他の人は冷たい清涼飲料水をガブガブ飲んでいましたが、私は自分の胃腸や神経に無用な負担を掛けたくなかったので、熱いほうじ茶を持参して、喉の渇きを潤す程度に飲んでいました。

そんなこんなで、炎天下の作業が終わったとき、

他のメンバーは疲れた疲れたとぼやいていましたが、私の体調は作業開始時とさほど変りませんでした。このことについても、驚かれたのを覚えています。

実際以上に元気に見られるのは、こういう振る舞いも一因かもしれません。

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※当時の私は、「おしん」みたいな痩せ我慢が、日本人の一般的な美徳であり、常識だと思っていました。

今も、かなり、そうです。

しかし実際は、同世代の男女においては、

少しの苦痛でもママンやパパン等に泣きついて解決を図り、彼ら自身は手を動かさないし、工夫もしなければ成長も欲しない(つまり、悩みさえしない)ことが良くあって、

私にも往々にして、そういう惰弱な態度が期待される…という現実が、あったりします。

そんな「普通の人」に馴染むことを要求されるのには、正直、困惑しますね。

そのような軟弱さは、私が人間に必要と考える尊厳を蝕むものだし、

一個の生物としても、末期的だと思うので。

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Comments

こんにちは。どうぞ、コメント返しがつらいときは無理を
なさらないで下さいね。
うっかりと立ち入ったコメントを書いてしまった場合は
お許し下さい(今回からHNを寂光に変えさせていただきます)。

周囲が「そんな怖いものを使うの?」という反応をした時点で、
忘道さんが「この方が楽なのだ」という実際的な説明をしても、
周囲の反応は変わらなかったわけですね。

この出来事に類するようなコミュニケーションの断絶、
または周囲の無理解という状況をよく経験したので、
その理由を考えたことがあります。

①こちらが正しく説明しようとしても、相手は最初から理解する気がない。

②理解しようという気がないわけではないが、発想や経験や知識が
違いすぎるため、想像が追いつかない。

このどちらかである可能性が高いのですが、経験では①の方が多いようです。
聞く耳持たない、と言ってもいいのですが、
「そんな怖いもの」という反応をした時点ですでに、
説明などまともに聞く気がない人間のほうが多数です。
理解されないので更に説明を重ねると、相手はそれ以上聞きたくないのでイライラして怒り出す、とか(笑)。

違和感を覚えてしまったら、もうそこから先には
無理解の壁がドンと立ちはだかってしまい、それを超えて理解してもらおうと努めることはほとんどが徒労に終わる、というのが実感です。

そこにもし、(あれ?なんでこの人はこういうことをするのだろう)
(できればその理由を知りたい)というような好奇心があれば
多少の相互理解は成立するはずなんですけれども、
まあ、そういうことは滅多に起きません。
そういう例外が起きるのは、恋愛関係にある場合や、稀に非常に興味を持った相手に対してのみでしょうか。

飲み過ぎるとだるくなる清涼飲料水を飲まずに熱いほうじ茶を飲んでいたというのは、一種の自己管理ですね。
十五歳ですでにそのようなことをなさっていたことに感心します。

おしんのような痩せ我慢の美徳は、日本人の間に長く受け継がれてきた
と思いますが、80年代から一気に退潮しました。

>少しの苦痛でもママンやパパン等に泣きついて解決を図り、彼ら自身は手を動かさないし、
>工夫もしなければ成長も欲しない(つまり、悩みさえしない)ことが良くあって、

大体において、「少々の苦痛は我慢する」という教育が入っていないことが多いですね。まあ、『巨人の星』や『アタックNO.1』の刷り込みがある世代から上は多少マシかも知れませんが、しかし、
「工夫もしなければ成長も欲しない(つまり、悩みさえしない)」
という点については、上の世代もあまり変わりはない気がします。
何か問題が起きた場合に、
「自分の頭で考え、必要ならば資料を探して勉強し、然るべき解決策を探す」という手間を一切ぶっ飛ばしたい人の方が多数派なんです。
「問題など無いことにする」という態度を貫く人も大勢いますし(悩みさえしない、という態度ですが、本当に気づかなければ別ですが、気づいていながらスルーする人も多いです)。

忘道さんにもそういう脆弱な態度が期待されるのは、
それがこの国におけるマジョリティの態度だからですが
(そもそも「汝、おとなしき羊であれ」的な義務教育があるわけですから、
それが日本という国の教育方針なわけです)、
自らを「人外」とすら言い切れる忘道さんならば、
そうした周囲の要請に流されることもないでしょう。

長くなって失礼しました。それでは、また^^

Posted by: 寂光 | Monday, 14 April 2008 04:37 PM

HNの件了解しました。
温かいコメント、有難うございます。

寂光様、そして先日のkana様も。いましばらく、お言葉に甘えさせて頂きますね。。。

Posted by: 忘道 | Tuesday, 15 April 2008 10:14 PM

忘道さんこんにちは。
私も、コメントへの返事をあてにして書いているわけではありませんので、お気遣いなく・・。

とは申しましたものの、もしよろしければ、どうぞお教えください。
炎天下の肉体労働において、喉の渇きを潤す程度に熱いお茶を飲むことが、なぜ体力の温存につながるのですか?
食物を消化する際には内臓疲労がおこる、というのは聞いたことがありますが、水でも似たようなことが起こっているのですか?それとも別の理由ですか?
冷たい水は、体をびっくりさせそうだな、とは思いましたが、常温の水ではどうですか?


すみません、ひとつ、言い訳をさせてください。
先日、私が注射をこわがっていた件を書きましたが、
私は子供の頃から自分を強く抑圧しすぎてきたので、
心の傷の解放と、習慣づけのために、あえて今はそうしております。
もし誤解から軽蔑されては・・と不安になったのです。

親に助けを求めることができなかったので、人を助ける割には、自分の問題は自己解決しすぎる習慣があります。
それでは心の傷が癒えないのを感じるので、頼れる、しかし損な役回りを、一旦手放してみようと励んでいます。

お目汚し、本当に失礼いたしました。

Posted by: kana | Thursday, 17 April 2008 03:33 AM

補足:出勤前に書いたせいか、妙に事務的な口調のコメントを書いてしまったので、全面的に訂正します。すみません。

16歳当時の私なりの考えは、大体、以下のようなものでした。
(※子供なので、内分泌の働き等は余り考えていません)

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肉体労働の際、身体は、汗をかいて体温を下げようとします。気化熱で皮膚の温度を下げて、近くの筋肉の温度も下げよう、という仕組みです。

熱い茶を飲むことで、この発汗が促されます。つまり、自分で自分の身体の仕事を、後押ししているわけです。

逆に、冷たい飲食物を無闇に摂った場合、一見すると楽に体温が下がりそうですが、

身体は、自分の冷え切った胃だの腸だのの血行を良くして、温めなくてはなりません。これは激しい運動中の、クールダウンが主体であるべき体温調節に、逆行する仕事です。

胃や腸に行く分、筋肉が使える血液の割合も、減ります。

筋肉に充分な血を送れないと、酸素も栄養も足りなくなりますし、二酸化炭素や老廃物も、うまく搬出できなくなります。

結果として、力がでないし、疲れやすくなります。

(加えて、飲み物が多量の糖分を含む場合は、血糖値が激しく上下動する…という、もっと邪魔なことをしてくれます。が、その時は、そこまで考えていませんでした。)

Posted by: 忘道 | Thursday, 17 April 2008 07:59 AM

本格的にレスを返すまえに、さらに補足しておきますね。

>もし誤解から軽蔑されては・・
これは、大丈夫です。

記事の後半で管理人が書いているのは世間のほとんどの人に対する思いであって、

馴染めと言われると困惑するけれど、尊敬はしているんですよ。

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もし人を花だとすると、管理人は地味な古代種の花、というか薬草で、育て方は、

『痩せた石灰質の土壌を好みます。乾燥した岩山などの、日差しや風が強い、過酷な環境に良く耐えます。水やりと施肥は最小限に。』

という感じです。

世間の普通の人は華やかな園芸種の花で、育てかたは、

『腐食質を多く含む、弱酸性の土壌を好みます。植え付ける場所は、あらかじめ、出来るだけ深く耕しておきます。害虫や病気が付きやすいので、定期的に農薬を散布することが必要です。多雨を好みますが、水はけには注意してください。』

そういう感じです。

どちらも、それなりに存在意義があります。

「薬草」の私が、「園芸種の花」である周囲に、軽蔑の念など持ちません。むしろ、自分にない要素を尊敬しています。

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それでもはっきり分かるのは、互いに、別の環境でしか生きられない、という事です。

もし後者が前者みたいな荒れ地に植えられたら、数日で枯死しそうです。

逆に、もし前者が後者みたいな環境に植えられたら、すぐには枯れなくても、根腐れしたり病気にかかりやすくなったり、薬草としての効き目が失せたりします。

時々、そんな「普通」の環境に馴染むことを要求されますが、その度に、困惑してしまいます。そういう時だけは、普通の人の無知や弱さが、憎くなったりします。

本文の後半は、そのような、日常生活で長年感じている違和感を表現したものです。ご懸念のことは関係がないので、ご安心ください。

Posted by: 忘道 | Saturday, 19 April 2008 12:49 AM

わかりやすいよう解説くださり、ありがとうございます。
人間の体は、うまくできているものですね。

私はサウナで汗をかくのがすきなので、次回は熱いお茶を飲んでみます。

体の扱い方の記事は、本当にたのしみにしております。


私事についても、あたたかいお返事ありがとうございました。
よく考えず書いてしまい、お恥ずかしいです。

個性の違いを、植物にたとえられたのが、私の好みに合いました。
人生は、本当に花のようですね。
昔読んだ、「モモ」という児童書に、「時間の花」という人生の象徴が出てくるのを思い出しました。

忘道さんが古代種の薬草という例えが、妙にピッタリ来ました。
採取しに行くのは重労働ですね。

最近、、友人の故郷には、「その場所にしか咲かない花」があるのだと聞きました。余所へ持っていっても、繁殖しないのだとか。
人間にも、このような人がいるのかな、とふと思いました。

植物といっしょにいると、尊敬や安らぎを感じます。
このまま私にも根が生えたらな、と思ったりします。

お年をめした方々の多くが、庭仕事に安らぎを見出されるように、私も少しずつ植物に近くなっているのかな、と想像したりします。(へんな話をして、すみません。)

Posted by: kana | Saturday, 19 April 2008 11:53 AM

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