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Monday, 07 April 2008

一緒に居ると元気が出る、と言われても。

自分を客観視する試み。

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管理人は、「あなたと一緒に居ると元気になる」だとか、「あなたを見ているだけで元気が出てくる」だとかいうお褒めの言葉を頂くことが、割と頻繁にあります。

物心がついた辺りから、ずっとそうでした。

で、

ひと様が元気になってくれる事は嬉しいにせよ、私個人は、この言葉が嫌でしたね。つい最近(今年初めくらい)まで。

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というのも、例えば

小学三年辺りで人生が既に非常事態だった頃に言われたり、

冗談抜きで衰弱死し掛けていた頃に言われたり、

先日に書いた、去年、母の問題で大変だった頃にも言われていたので、

その人々の大半が、私の元気さには無関心であることに気づいて悲しくなったり、

「ということは、ひと様に弱い部分を見せないのが、私の責任かもしれない」と考えるようになって無理をしすぎたり、

無理がたたって、暗い表情が抜けなくなってしまった自分に、更に自信をなくしたりもしたので。

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しかし考えてみれば管理人の人生は、どう転んでも、ずっとそう言われ続けるのだと思います。

何せ、あれだけ弱っても言われていたくらいですから。

だとしたら、ちゃんと食べるものを食べて、寝る時間を取って、笑えるときにはすかさず笑うなどしつつ自分を充電することも、大切にすべきなんだろうな、と

ここニ三ヶ月、考え直したりしています。

キザな物言いかもしれませんが、自分の運命を恥じていては何も始まらないですし。

自分の非力さや無知さ、限界を思い知ったり、取り返しのつかないことをしたり、散々恥ずかしい思いをしたり…という経験を踏まえてこそ、できることというのも、沢山あるでしょうから。

まとまりのない文章ですが、今日はこのへんで。

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Comments

2007年5月に一回だけコメントをつけさせていただきましたが、
久しぶりにコメントをつけさせていただきます。
この記事からリンクの貼られていた「小学三年生あたりで人生が既に非常事態だった頃」を読んで、
なんとも言えないおかしみと、当時の忘道さんの心境を想像して、
(ああ、大変だったろうなあ!)という感慨を覚えました。
年齢に比して卓越した知力を持ち、更に家庭的に大きな重荷を背負わされた子供の内面について、平凡な人生経験しか持たなかった大人の想像力は決して追いつきません。
それは彼らの責任ではなく、一人一人が背負わされる宿命の違い、とでも言いますか・・・。

しかし、忘道さんは過酷な状況で参っている時にも非常にエネルギッシュに見える、という特質をお持ちなのではないかと思います。
というよりも、通常のエネルギーレベルが高いのでしょう。
例えば、生まれつき鬱病になりやすい潜在傾向を持って生まれる人がいたり、健康な状態でも覇気があるとは言えない人がいるのと同様に、こうしたことは、いずれ脳内の化学物質の働きで解明できるのかも知れません。

ともあれ、久しぶりに訪問させていただいたのですが、
数あるブログの中でも、私が(面白い)と実感できる数少ないブログで
あることは間違いありません。
その理由を端的に言うと、内容が「凡庸ではないこと」でしょうか。
文章が上手くて、内容が凡庸なブログは星の数ほどありますが、
生まれつき凡庸ではなく、凡庸ではない経験を重ね、
それを凡庸なレベルを超えた文章力で表現しているブログは
数少ないからだと思います。

これ以上のことはコメント欄に書くよりも、メールで個人的に
お伝えするような内容だと思いますが、
忘道さんの文章力はプロにも匹敵すると思いますし、
知識の量から言えば、それで食べている大方の物書きよりも
広いのではないかという印象を覚えます。

忘道さんが体調の不良をほぼ自力で治した、と書かれているのを見て
関心を持っていたのですが、それが栄養療法らしいと知り、
更に関心を持ちました。
実は私も栄養療法を自分のできる範囲で実践して、
かなりの効果を実感しましたので。
もしよければ、栄養療法についての記事を書いていただけますと
嬉しく思います^^

Posted by: オリンピア | Thursday, 10 April 2008 01:40 AM

こんにちは。欠かさず読ませていただいてます。

私も、ここに来るとやはり元気がでます。
人によって理由は違うだろうとは思いますが、私は、「自分自身との約束」をきっちり果たそうとされる忘道さんの姿勢に、勇気付けられております。

自分の良心にしたがって生きることは、本来、人間にとって健康で自然なことだと思います。
私もそうしたいのですが・・・なかなか・・・
しかしここにくると、流されるもんかと頑張っておられる姿に、勇気付けられることが多々あります。

栄養療法について書いてくださったこと、変わらず感謝しております。

今、カナダでNaturopathic Clinicに通い、栄養療法と食事指導を受けています。食事日記なるものを毎週提出しています。

モノではなく人として扱われ、診察のあとはセラピーを受けたような気持ちになるので、通院を毎回楽しみにしています。
注射をこわがると、話しかけて気をそらしたりしてくれたり、手を握ってくれたりして、甘やかしてくれるのが実はたまりません・・・。

Posted by: kana | Thursday, 10 April 2008 01:58 PM

オリンピア様、kana様、コメント有難うございます。
お二人ともお元気そうで何よりです。

今回の話については思い出す記憶や感情が多すぎて、お返事を、上手く言葉にできずにいます。(書こうとすると、鼻がツーンと痛くなってくるのですよ。)

ひとまずお二方に感謝の気持ちを示したく、これを書きました。

Posted by: 忘道 | Saturday, 12 April 2008 12:55 AM

遅まきながらレスします。
>寂光様
>栄養療法
90年代にアンドルー・ワイル博士のご本を読み齧った後は、具体的なことはしていなかったのですが、もともと料理本や消費者問題の本が好きなので、幕内 秀夫さん、魚柄 仁之助さんや船瀬俊介さん辺りを読んでいるうちに、段々、現代風の食生活の危なさに気づき始めました。

父がガンで死んだ後の2004年初め、マクロビオティック(久司道夫さん風のもの)を知って真面目に実行してみた辺りから、劇的な速さで健康状態が改善していきました。

幕内さんの著書で玄米菜食でたんぱく質不足になったケースの怖さを予防注射されていたのも、成功の一因だったと思います。

ただし私の場合、一日に一食は他人様の手に触れた料理を食べたい、という不思議な強い欲求があるので、あまり厳密には、続けていません。

あと、私は自虐的な気分になるとジャンクフードを食べたくなるのですが、

去年辺りから、自分のそういう気分を押し殺さないためにも、「ジャンクフードを食べたいときは食べていいよ(悲しみたいときは悲しんでいいよ)」という心構えでいることを選びました。

その結果、今は、ほとんどそういうものを食べなくなりつつあります。

>kana様
>自分の良心にしたがって生きることは、本来、人間にとって健康で自然なことだと思います。

これは管理人にとっても、実はまだまだ、難しいです。

まだ子供だった頃は、良心の声や身体の声に耳を傾けることができたのですが、父母の病気につきあっているうちに、

・まず最優先で、「周囲の人の」心身の声を聞く。
・「自分の」心身の声は、ひとまず抑え付ける。
・抑え付けた声を、頭の中で検閲。
・親を刺激しなさそうなものだけを表に出す。
・残りは、完全に圧殺する。

という習慣が、染み付いてしまいました。

大人なら兎も角、自我が固まっていない子供時代にこうなると、自分の心身のケアは難しいと思います。

そういう人は世界中に沢山いますが、どこでも少数派で、見落とされがちです。

欧米の医療は、そういう少数派が存在することを認めた上で、じゃあどうするか?という具体策を進める段階に進んでいるので、日本からみると、まだ、学ぶところばかりである気がします。

>Naturopathic Clinic
良いですねえ…。
私がかかったニュージーランドのお医者様やカウンセラーの方々を思い出して、ほのぼのしてしまいました。

Posted by: 忘道 | Tuesday, 22 April 2008 10:00 PM

今更ですが。
>なんとも言えないおかしみと
これは少し、気になりますね。

世間には、大変な幼少期を送っている子供は、沢山います。

私の場合、profoundly giftedという異分子として生まれたことは兎も角、生育環境は割と酷くなかったので、私より悪い条件下に育つ子供がどうなるか、想像するだけで恐くなります。当時も、今も。

そのため自分の話は笑いとばせても、
他人様の話は、とても笑えません。

寂光様のそういう感覚は、何かあって麻痺しているのだと思います。そして多分、今も、原因を直視なさっていない。

差し出口をきくようですが、気になりました。

Posted by: 忘道 | Saturday, 26 April 2008 02:43 PM

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