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Saturday, 29 December 2007

卒意と言うこと

藤原行成について先日の記事で、「かな文字よりも漢文のほうが出来が良く見えたりします。なぜだろう。」と触れた後に

ふと思い立って調べた所、現存する彼の作品の内、明らかな真跡は漢字のもののみだとかで、

やはりなあ、と思った。

彼の手になるとされる作品のうち仮名文字は、

例えば、「上手に見せたい」という気負いや「どうです?私の字は巧いでしょう」という気取りの漂うキザな筆跡だったり、

或いは、

まるでウラナリの坊さんか尼さんが、諸行無常を託ちながらも憂き世の見栄に囚われつつ筆写したような、生気もなければ覇気もない、鬱々とした筆跡だったりする。

あれらが仮名文字の鑑として人口に膾炙していると聞いても、これまで私には、どこがどう良いのか判らなかった。

今般彼の漢字をじっくり眺める機会を持って、あの品の良い豪放さや、健康な精神性がありありと伝わる筆致は確かに稀有だと思ったし、この人物と、あの仮名文字の退屈そうな御仁が同一とは、やはり思えない。

要は、「彼の」仮名に漂うキザな暗さが、漢字には全く無いのだ。

習字を始めた頃の書道の先生や、小学校一・二年の担任の先生から教えられて以来、私も重々自戒していることだけれど、

書に限らず全てにおいて、

卒意とは、極めて難しいが、不可欠の要素だと思わされる。

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Friday, 28 December 2007

ロータリー

管理人がロータリーエンジン好きだった小さい頃

ご近所その他の周囲の大人たちは、

マツダとかメルセデスとかポルシェのロータリーエンジン車にロータリークラブのステッカーを貼っていたので、幼心に大変紛らわしく、

当時の私は「ロータリークラブというのは、ロータリーエンジン愛好家の集いか、あるいはカーマニアの集いで、もののついでに慈善活動をするのだろう」と誤解していました。

まあ、マークだって車輪っぽいですし(言いのがれ)。

ギフテッドと言っても小さいうちは世間知が無いので、そんな風にお馬鹿な事を考えます。小さい子供が、よく、プリンスホテルとプリンを関連付けて考えるようなものですね。

ちなみに上記の記事のおばさんの一件は、マツダRX-7がまだ出回っていない頃の話なので、管理人が四歳以下だったことだけは確か。

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Wednesday, 26 December 2007

元気そうな母

昨日、やむをえない用事があり、実家の母に電話を入れた。

用事だけで切ったので、30秒も話さなかったように思うが、

母が(フワフワとでも)楽しそうに暮らしているのが判ったので、ひとまず安心した。

こうやって放置気味にすると、かつては

何か錯乱状態に陥っているんじゃないか?とか、変なカルトに走っているんじゃないか?とか、変な物を買わされそうになっているんじゃないか?と、わが母ながら心配でしかたないほどの人物だったので、

まだ半分、ぴんとこないが。

母の友人関係一つとっても、タダレた感じの奥様友達が多かった私の幼い頃と比べると、随分と、堅実な人々と付き合うようになっていることだし、これは

安心してよいのかもしれない。

今でも母は昔同様、行き当たりばったりで将来を考えない生き方の人だが、

「あたしはゼッタイ50才位で死ぬから。」という嘗ての予言が外れたお陰か、少しずつ自分が長生きする可能性や、健康管理の重要性や、老い支度について、考え始めている気配がある。

ま、気配だけかもしれませんが。

あと10年くらいは遠巻きに放置しておくほうが、お互いの為かも知れない。

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Tuesday, 25 December 2007

近況と、地学と、大学の通信講座で地学を学べる話。

このブログ上には、管理人の仕事の話題が余り出てこない。

理由は、といえば、

これまで大体において法令順守や個人情報保護に厳しい職場にいたので、その習慣が抜けないからだと思う。

今の職場も同じようなものだから、このブログに仕事の詳しい話が出てこないのは、今後も変わりない。

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去年も感じたことだが、お陰様で最近は、調子が良い。勿論この数週間のように、祖父の死の真相を知ってヘコムようなハプニングだってある訳だが、去年よりも更に、立ち直りが早くなったような気がする。

仕事や勉強をしていて、『自分ってこんなに頭が良かったのか!』と、思うくらいだ。

(死にかけていた時期を含めて、他人からはだいたい「頭のいい人」以外の評価を得たことがないのだが、管理人はそういうどうでも良さげな人の評価は適当に受け流すことにしている。対自分比が、一番信用できると思うので。)

六法だの判例だのを小学一・二年生くらいの頃から読み慣れている自分の、過去の境遇や過去の努力に、感謝したくもなるし、

ギフテッドで良かったなあ、とも思う。

===全く話は飛ぶけれど、教育について===

その辺の子供が

「数学なんてべんきょーして、何の役に立つの?」「物理なんて何が面白いの?」「化学なんて何の役に立つの?」「どれも全然使わないじゃんよー」

と言っている様子や、理系離れが進んでいるというニュースを見聞きするたび、

地学を高校の必修科目に戻したほうが良いんじゃないか?と、思ったりします。

高校地学では、物理・化学・生物の三分野の知識を判りやすい形でおさらいするから、地学が必修だった親くらいの世代だと、「地学で物理と化学と生物の凄さに目覚めた!」という人は、多いんじゃないかな。

最近売れているらしい文庫版や新書版の『高校地学』のような本は、この世代がメインの読者に違いありません(断言)。

たとえば物理の一部で宇宙速度を学んでも関心を持てない人って多いらしいけれど、

ほぼ同じ内容を地学の一環として学ぶと、前後が宇宙の話ばかりでイメージが描きやすいせいか勉強しやすいし、感動する人も多いような気がします。

===今日のちょっと役に立つ豆知識===

大学の通信教育講座…というと文系のイメージが強いですが、世間には、理系の講座も存在します。

秋田大学工学資源学部通信教育講座

地学系だと

地球科学コース 一般地質学、資源と地球環境、地球化学、鉱物学、岩石学、鉱床学、エネルギー地質学、応用地質学、応用地球物理学、地震、火山

資源開発コース 一般地質学、資源開発工学概論、地殻開発工学、鉱物資源開発、地下環境、石油資源開発、海洋資源開発、輸送システム、資源処理工学、廃水処理

…科目名を眺めるだけで萌えというか、ときめきますよね。

一コースあたり34400円(教科書代込み)で、料金的にもお手ごろ。自分ももう少し余裕が出来たら、受けるかもしれません。

疫学もやりたいのですが、あれはさすがに、通信講座はないっぽいです(海外を探せばあるかな。)

医学系だの地質学だの疫学だのとフラフラしてる管理人が、じゃあ何をやりたいのか?というと、

それは内緒…というか、疫学的に問題のある地質とか、まあその辺だと思ってください。

こないだ海外の人畜共通疾患の論文を読んでいて、やはりそういう分野って有るんだな~と思いました。

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Sunday, 23 December 2007

ガンプラに済まなさを感じた話

自分が今までにやった行動で一番自虐的な事は、もしかすると、中一くらいの時に

ガンプラを並べてエアガンで撃ったり、爆竹で吹っ飛ばそうとした事

かも知れません。

一言でいうと、

「と…取り返しのつかないことを、してしまった」

と後悔して、途中で止めました。

今これを書いていても、なんとも言えぬ嫌な済まなさが沸いてきます。

ジムとかボールとかに対し、あんな罪悪感を感じるとは意外でしたし、温存しておいた旧ザクとかに対しても、信じられないほど済まない気分になりました。

ストレスの溜まり具合がもう少し少なかった小学卒業くらいまでは、「銀色や茶色のプラカラーを買って来て、ヨゴシを入れてみる」とか、「なんかジオラマっぽいものを造ってみる」とか創造的なことをして発散できていたのですが、

ついに破壊行動に走ってしまった自分の弱さに、12歳なりに愕然としました。

他虐とは、自虐と表裏一体なのかもしれないと考えさせられた一件でした。

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当時の写真を見ると、病的に痩せている割にあちこちむくんでいて、心身ともに余程辛かったんだろうなと思いますが、

どう辛くとも中学三年位まで実力テストでは学年トップを保ち、ほぼ誰にも不調を気づかせませんでした。(授業をろくに聞けていないので、定期試験は四百人弱の中のベストスリー止まりでしたが)

当時はそれも自分の強さの証明だ位に思っていましたね。

十八才で家を脱出できる日を「あと十年」「あと六年」とカウントダウンのように待ちながら、

丁度崖っぷちに掴まった手がついに離れて、狂気へとゆっくり押し流されていくような幼少期を過ごす子供は、私以外にも沢山いると思いますが、

例えば、もし管理人がギフテッドじゃなかったら、

学校で、イジメに遭ったかもしれません。

父母からのネグレクトやモラハラを、乗り切れなかったかもしれません。実際、知恵や体力や、時には単なる幸運のお陰で助かった、と思えるような事態が何度かあったので。

自分では、自分はラッキーだったと思うようにしています。

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ちなみに当時好きだった映画に『誓いの休暇』があります。

二次大戦中のロシアを舞台にした作品で、

まだ幼い少年兵が、偶然ドイツ軍の戦車を破壊するという戦功を立て、数日の休暇を貰ったので、家に帰省しようとします。

ただ家に帰りたいだけなのに、道中で沢山の人から頼み事をされ、それに逐一応えて汽車の時間を逃したりしながら故郷にたどり着き、

(以下ネタバレなので、構わない人のみ反転で)

結局、母親に挨拶しただけで戦場に戻らざるを得なくなり、直後に戦死する。……という筋書きの映画ですが、

当時は、これを自分の人生に重ね合わせて見ていました。要は、自分の人生がこの先も長く続いていく、という感覚を失いかけていたのですが、

実は未だにこの『自分は明日も明後日も、無事に生きているだろう。』という、普通の人々が共有しているはずの前提が、ピンときません。

どうも、「恐らく自分は、いつか不慮の死を遂げるのではないか?」という恐怖が、どこか心の片隅に、まだ根付いているようです。

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Saturday, 22 December 2007

コネの宝庫だったかもしれないが

最近になって気が付いた事だけれど、管理人の父と母の境遇は、世間から見れば『コネ』の宝庫だったようだ。 だが二人とも今まで、コネに頼る様子を見せたことはなかった。

昔、身内の困ったさんにお互いの縁故で就職口を世話したのは良いが、案の定シュガー社員化されて周囲に迷惑をかけ、「お前何とかしろ」「あなたこそ」と夫婦仲が悪くなったことがあったりしたので、

(夫婦仲が悪いのは常のことだが)

自分自身がその「困った奴」になるのは、プライドが許さなかったのかもしれない。

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似た例では、以前、いとこが就職した頃、

「就活中、どこを受けても、『あ~コネですか~~(微笑)』という顔をされて、ほんっとーに嫌だった。そんな所は全部蹴って、意地でもオヤジの知らない会社を探し出して入るぞ、って決意するくらい嫌だった。ま~結局はバレたけど、入ったときは実力だったんだから、これからも縁故採用組扱いはさせないよっ!」

と憤然としていたことがある。

温室育ちの発想と言われればそれまでだが、未だにうだつの上がらない管理人でさえ、コネを頼る人よりも、いとこの気持ちのほうが、良く分かる。

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亡父は、生前の希望にもとづいて密葬に付したので、父の昔馴染みにはまだ、死を知らせていない。父が零落してからほぼ全ての旧友と連絡を絶ったせいもあるし、加えて死の前後から我が家が非常に混乱していたので、

未だに、葉書の一枚も出せていないのだ。

時宜を逸した挨拶とは全てそういうものだが、「今更出してもなあ」という感じがして、未だに手をつけていない。 

母は例によって何もしない。

父の飲み友達の、まるで歴史がかった同盟みたいな面子を思い出しながら、懐かしく感じると同時に、自分たちは全く別の世界に来てしまったな、と思う。

多分父にとっては、遠きにありて思うような友情…というか、アルト・ハイデルベルクの日々のような、俗気を持ち込みたくない、青春の輝きだったのかもしれない。

そんなことを思い出して、先日は少し世間離れした文章を書いてしまった。

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Thursday, 20 December 2007

大河ドラマを観る気がしない

12月20日22時付記:全面的に筆を入れました。

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大河ドラマ『風林火山』は一応(ものすごく一応)ご先祖がらみなのだが、結局、まだ、一度も見ていない。身内も、あまり見ていないらしい。『褒めるにしても貶すにしても、勝手なことしか描いていないだろう』というのが彼ら彼女らの言い分だ。

以前、別のご先祖絡みの映画が流行ったときも、同じような反応だった。

確かにどれも、あまり、見る気が起きない。

ただ、明治維新あたりから戦後しばらくまでは、武田信玄というと、極悪人として描かれるのが常だったため、

武田方と知られると『ああ、あのタヌキ親父のとこ?』と軽蔑されるのも常だったそうで、その意味では良い時代になった、程度には、思われているらしい。

ちなみに武田の遺臣は、織田の残党狩りを逃れた後は徳川に拾われる形で全国に散り、他家に仕えて武勲を挙げたり、礼法や武道で名声を得たりした人も多い。とはいえ徳川に恩義があることで、幕末には大体において佐幕側につき、そのせいか、維新以来の百年近い間、憂き目に遭っていた。

管理人の先祖は例外的に尊皇派についたが、やがて流人同然に北海道に渡った。

それでも、

蝦夷地に渡ったそういう武門の人々の大半は、例の誰一人幸福にしない身分というシステムから解放されたことが嬉しくて仕方ないようだし、

内地の人が、家柄がどうのと一大事のように騒ぐ様子を伝え聞くたびに気の毒で仕方なく思えたり、ああいう不便な場所には頼まれても戻りたくないわ、と思ったりする(もと大名の人などは、時々戻らなきゃならないわけだが)。

この嬉しさは、結構、みんなに共通しているんじゃないかと思う。

そのせいか、先日の報道で、徳川の子孫で前田家に養子にいった人を名乗る詐欺があったなどというのを聞くと、そういうものに無闇に憧れる人の心が、不思議に思える。

不思議というか、自称「英国のエリザベス女王とハワイのカメハメハ大王の子孫で米軍士官」の詐欺師なみにあほらしくさえ思えるが、

あほらしいなりに、敢えて、こだわりのあるツッコミを入れてみたい。

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そもそも、所詮お武家は北面の者なので、上流を気取ったり雅な社交をしたりすることは、あまり期待されていないと思う。

伝統だって雅だって、本来はお公家さん方の専門なので。

お武家では上位の旧華族たちをとっても、大名華族と、公家華族とは格が違う。一応は殿上人だったようなお武家でも、二条河原の落書で京童に笑いものにされた過去があったりするので、己の格式については、謙虚にならざるを得ないと思う。

別に普通の旧士族・卒族でも、その辺でたまたま知り合った人が実は自分たちの仇敵だったり、逆に相手が、実は昔自分たちが、女子供まで皆殺しにしたはずの一族の生き残りだったりしかねないので、気軽に身元を明かせない人は、多いんじゃなかろうか。

そういう、重くて面倒なものに、騙されるほどの魅力を感じる人がいるのか…。

というか、大半の日本人の先祖は侍以外なのだから、サムライサムライと騒いだり、浮かれた武士道に走ったりするのは、そもそもおかしいと思うのだが。

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さて、ドラマの山場だったらしい川中島の戦いについてだが、

炊事だろうが焚き火だろうが、いくさ場で迂闊に煙を立てると動向を悟られるぞ、特に奇襲の時にそんな真似をするのは最悪、とちっさい頃から叩き込まれている管理人は、ドラマの粗筋を読んだだけで観る気が殺がれた。

その辺りは現代戦でもタブーだと思うが、

鳥の羽音や虫の声にさえ神経を尖らせる昔の戦で、あれは有り得んわ。

糒とか、何のためにあると思ってるのだろう。

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Wednesday, 19 December 2007

公の場での親切と誤解

私は多分人嫌いな人間だが、

俗に言う「隠者タイプ」のギフテッドだからか、小さい頃から、赤の他人からいきなり相談事をされることが時折ある。

そういう時は、私も可能な限り熱心に返答してきたと思う。

その生まれつきの性質に加え、去年くらいまでは「自分も少しは普通の女の人のような振る舞いを身につけよう」と心がけていたからだと思うが、

(※注:管理人の考えていた"普通の女の人"→①文章に顔文字などを混ぜる。②語尾を伸ばす。③はっきり物を言わない。④目の前のどんな相手よりも自分を馬鹿に見せる。)

そのせいか、コメント欄に変な男子が来て、変に愛想を振りまきつづけたり、追い出されても居座ろうとしたりしたので、正直、極めて気分の悪い思いをした。

こいつが、なぜか管理人が医者志望だと勘違いをして(身近に学者がいないと、医学系研究者と医者の区別がつかないのだろう)、頼みもしない資料を送りつけてきて以来、「年上のお金持ち有閑女性が年下の男の子を探しています」的なスパムメールが、一日十通くらい来るようになったのは、ちょっとキモ面白かったが。

世間の普通の女の人は、こういう面倒臭さに耐えて生きているのか、辛い人生だな…と思ったら、普通の女の人っぽい要素を身につける気が、すっかり失せた。収穫といえば収穫だ。

ちなみに、管理人が赤の他人に親切にできるのは、たとえば実生活でカンチガイ君に絡まれた日には骨の一本でも折るか、関節の一個でも外す主義で生きているからだが(指の骨くらいなら本当に簡単に折れる)、

別に、好んで他人の骨を折る趣味はないので、いずれにせよ、良い気分はしない。

そのように、

凡そ良き一市民であるならば、公の場では、見知らぬ人間に対し可能な限り温かく親切に接すべきだ、という信念がある管理人にとって、先日の佐世保の一件で殺された女性の話は、あまり他人事ではない。

犯人のような奴が、なんで一々そういう人に逆恨みするのかというと、

「あんなににこやかに話を聞いてくれたのは嘘だったのか」とか、「自分の気持ちをもてあそんだ悪い人間だ」くらいに怒った……というのがこの手の犯罪の定石だが、

凡そある程度ちゃんと育った人間ならば、公の場で他人に親切にされるのみならず、親切にする側に立った経験も、多々あるはずだ(私でさえ、そうだ)。

その私心の無い親切を、理解できない下種もいるのかもしれないが、

目の前の客人がそのような下種だと仮定することさえ、礼を失すると考える人間もいる。

実際、私も去年にそういうミョーな勘違いをする人間を(ブログ上であっても)目の当たりにするまで、まさかそういう下種が、この世に存在しうるとは信じたくなかった。

彼女は、本当に運が悪かったのだと思う。

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補足。

このブログの場合は、

最初から男子だと名乗るなり、男子らしいHNをつけるなりしていたら、他の男性コメント人に対してと同様、さばさばした扱いをしていたはずだ。

女々しいコメントに女々しめに合わせてみたら実は男子と判りギョッとしても、

「オネエ系ゲイかもしれないから、親切にし続けておこう」と思うのが管理人だったりする。

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Sunday, 16 December 2007

母と伯母達、冷戦中

管理人の叔母たち(母の姉や妹)は基本的に母のことを好いていますが、前にも書いたように、両者はほぼ絶縁状態です。

どのくらい絶縁状態かというと、四年前の亡父の葬儀の際、母は上記の実の姉妹を一人も招かず(義姉=母の兄のお嫁さんには知らせていました)、

最近は、

高齢の伯母の一人がかなり酷いガンで、翌春のお彼岸まで保つかどうか危うい状態なのですが、管理人の母だけは知らされていません。

そんな飛び石作戦をチョイスしあうほどの、不仲です。

なぜそこまで不仲か、というと、母が幼い管理人のことを露骨に疎ましがっていて伯母たちに呆れられた、というのもあるそうですが(嫌な話なので書きません)、

決定打になったのは私が6歳くらいの頃の、祖父と同居していた時期に起きた一件のようです。

つい先日に知ったことですが伯母達によると、

当時、管理人の実家で暮らしていた祖父が、持病の狭心症で倒れた際、母に『薬をくれ』とか『救急車を呼んでくれ』とか頼んだのに、無視というか、放置されたことがあるそうです。

この発作から致命的な発作までは間があったので、病床の祖父の口から伯母達に経緯を知られることになり、皆、少々の記憶違いはあっても鮮明に覚えている過去らしいのですが、

肝心の母だけは、全く覚えていません。

当時からそうでしたが、

前後の記憶を含めて記憶が消えているらしく、なぜ祖父がその日を境に家から消えたのかさえ、全く思い出せない様子です。

(祖父との件について、『リア王とコーデリアみたい』と言っているのを今でも聞きます。)

ちなみに私はこの件について、伯母たちから話を聞くまで、

『親代わりと懐いていた祖父が、ある日学校から帰ると、家から消えていた…母は何も説明しようとせず、妙に取り乱している…と思ったら祖父がどこかで脳梗塞を起こした、という話が耳に入り、入院先で会った時は、私の顔も判らない状態になっていた。』

程度の認識しか持っていませんでした。

よもや私の家で倒れていたとは。

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まあ、あの人は、数年前に飼い猫がジステンパーに罹った時でさえ

『ど、どうせ死ぬんだからー!! みんなどうせいつか死んじゃうんだから、いま病院行って治しても、意味ないから!! 誰だって、早く死ぬほうが、生きてるより幸せなんだからぁ!!』

とパニックを起こして治療を拒否した、困ったさんだからなぁ。

(余談だけど、上のパニックの台詞、なんか可愛いよね。)

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まあ、猫ならば管理人がかっさらえば病院へ連れて行けるし、

兄や父についても、部分的になら、管理人が何とかできていたのですが、祖父の件は盲点でした。

(注:それでも時折『もう少し頑張れば、もう少し誰かを助けられたかも知れんな』と考えたりしますが、自分の知力・体力・時の運の全てを投入してこの結果に終わった以上、自分の策を超える手はほぼ有り得ないだろう、と考え直すことにしています)

ともあれ家族以前の問題として、私自身が弱っていた頃もあったので

自分が何人目かの犠牲者になっていた

かも知れませんでした。

もう少し知恵や体力が足りなかったら、死んでいたろうな自分。……って感じの、具体的な思い出が、あれこれと有るので(苦笑)

まあ私は

あれしきで死ぬほど雑魚じゃないがwww

と、とりあえず強がっておきます。

そうしないと、人生が先に進みません。

さあ明日も、早起きして勉強&仕事&鍛錬だぞ、と。

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ちなみに管理人が小さい頃から強力さんを目指している理由として、

少なくとも小学生くらいの頃までは、

(天災とかが来たらうちのお母さんは、絶対パニクって、駄々こねて、避難しないに違いないから、いざと言うときは私が背負って逃げねば。…ということは、母の体重+αの50kgくらいを背負った状態で、楽々と山坂を走破できるようにならねばならんって事か。)

とか思っていたせいも、少しあります。

そんなこんなで力自慢になった管理人は、戦隊モノごっこでは黄色い役しか回ってこない子供になり、隠れて憤慨してましたとさ。

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Friday, 14 December 2007

IQ200とか175とか

たまーに、例えばライス補佐官のような人を引き合いに、現行のアメリカの知能検査ではIQ200なんて数字は有り得ない、ガセだ。というような説明を見かけますが、実はそういう記事は知ったかぶりをしているだけで、

海外のまじめーな文献には、普通に出てくる数字です(珍しい存在ではありますが)。

IQというのは大変大雑把な数字なので、細かい数字の違いに一喜一憂するものではないですが、

向こうの専門家が何故200とか175とかの違いに煩わされるのか、というと、ただ単に、明らかに扱い方のコツが違う、という経験則があるからじゃないかな、と思います。

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Thursday, 13 December 2007

母のアスペルガーについて補足

誤解のないように断っておくが、母の持つ境界性人格障害っぽい何か(というのか?)とアスペルガー症候群とは、 

まったく別個の問題だ。

基本的にアスペルガー症候群の人は、一旦獲得した思考パターンその他の習慣に強いこだわりを持つので、普通に育つ分には、世間の「普通の人」以上に真面目で、律儀に道徳を守る人になる。

どれくらい律儀に道徳を守るかと言うと、四角四面過ぎて融通が利かず、周囲が戸惑うほどだ。

生まれつき、邪心がないし。

ただ、アスペルガーの子供は、大人の言うことを「普通の子供」以上に真に受けて、冗談や誇張や比喩が通じないから、

稀に母のように、幼少期の親の養育や教導が実質的に欠落している場合などは、

誰かが不用意に間違ったことを教えてしまったりするので(例えばジョークを理解しない・空気が読めない彼らに「馬鹿だなーお前は」と、冗談でも繰り返し言ったりすると)、

育てなおしが難しいのだと思う。

母のように、多分アスペルガーと境界性人格障害を合わせ持つ人は、

普通の境界性人格障害の人と違って意図的な悪意や妬み等を持たず、人の心を操作しようともしない純粋さがあり、

その意味では扱いやすいが、

自分と他人の区別のなさや、グレーゾーンのない極端な白黒思考や、愛着の激しさやパニック発作等は、普通のアスペルガー以上にヤヤコシイことになってしまうのかもしれない。

少なくとも母は、そういう人だ。

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Tuesday, 11 December 2007

他人の「コイバナ」を聞いてみる

先日、職場で一人退職したのだが、どうやら恋愛関係のストレスで身体に不調を来たしたらしいと知って、微妙に驚いた。

何に驚いたかというと、恋愛なんぞという退屈そうな趣味をもつ人間が身近にいた、のも驚きだし、また、

その人と彼氏殿とが、どうやら深い仲だったらしいことには更に驚いた。

未婚の男女の不純異性交遊というのは、非行や心の病の一種だ、くらいに考えている管理人としては、驚くというよりまず、道徳的に感心しないというのもあるが(だって子供ができるんだぜ?)、

物凄く遠い世界の話のような気がしていたので。

ただ、去年の天の字のこともあるし、あんがい身近な問題たりうるのかもしれない。

本人は真面目なんだろうが、人生の連れ合いを探したければ親戚などに見合いを頼めば良いのだし、人は恋愛なんぞしなくても生きていけるのだから、

そういう自分の趣味で、悩みを抱えたあげく仕事にまで影響させるというのは、本当に良く分からない。

それでも、恋愛感情と言えるものを持ったことがない管理人が、そういう人の悩みの相談(というのか?)に乗れたのはちょっと面白かった。結構、一般的な処世術論で片付く部分があるのだと思う。

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Monday, 10 December 2007

体育会系のイトコとワタシ

ちなみに先日の記事の叔母の所のイトコは、全員、かなりの速さでフルマラソンを走るような体育会系です。

女子でも月300kmを走りこむのはデフォルトという感じ。

今では管理人との共通点と言えば、多少の怪我では泣き言を言わない所くらいかな。

年下との間にさえ、身体能力に天と地くらいの落差ができてしまって正直恥ずかしいですが、まあ、去年から今年にかけて(一時、身体を壊しましたが)かなり走れる程度には回復したし、

ゆっくりとでも、着々と追い付きつつあるから、現時点ではこれで良しとします♪

というか最近調子が良くなってからつくづく、例えば去年の自分が、どんなにガタガタだったか気が付いてゾッとしたりしています。去年は去年で、たしかに「近年になく調子がいい」と思っていたはずなんだがなあ。その前の年も、その更に前の年も。

何年も続いていた「これ以上無理をしたら、自分、心臓が麻痺して死ぬぞって感じ」が、いつの間にか消えてくれて嬉しいです。

お医者様から「働いたら駄目です」と言われ続けた過去は伊達ではなかったらしいよ自分(自分のことだよ?)。

危なかったよ。

良い子の皆さんはドクターストップには従いましょう。真似しちゃ駄目だぞ。

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Sunday, 09 December 2007

困った親を持つ子供の進路について考える

前にも書いたが最近、勉強を兼ねて、医学・薬学・獣医学あたりの時事英語を触っている。

これらの分野に限らないが最近痛感するのは、

学究の道に進んだイトコや知り合いは、今は日々をこういう研究のただなかで過ごしていて、専門知識を積み重ねて、すでに最低でも十年以上の経験があるのだな、

私の記憶には幼い姿しかないあの子やらこの子やらも、今は、マンテル=ヘンツェルカイ二乗検定やらイェーツ補正やらを、まるで寝ぼけながら朝食を摂るように気軽に駆使できるようになったのだな、

彼ら彼女らと私の間には現時点で、たいへんな落差が存在するのだな、

ということだ。

そして管理人が日々の生活費を稼ぎ、何とか小銭を貯めようとしているこの先の五年や十年の間にも、例えば去年ニュージーランドで知り合った友人が、私より先に、進んでいくのだろう。

ただ何せ私は私なので、策を練り効率よく行動しさえすれば、まだ妥当なハンデの範疇だろうと思える。

例え将来、四十八歳で大学や大学院に入り直して、十八歳に比べて三十年のビハインドができてしまっても、『伝説の浪人 椿三十浪』って感じで、伝説を作れるんじゃないかとさえ、思う(管理人は浪人じゃないが)。

まあ、強がり抜きでも、

自分とは、学問を奪われたら生きていけない人間だと、親元での年月に明確に判ってしまったので、いずれにせよ、この先何年かかろうと、そのうち彼らと同じ場所に行くが。

海外では、日本より、年齢を気にされないだろうし。

ただ、もし似たような境遇で学問の道を志す小中学生がいたら、このことは言っておきたい。

下手に親元に残るより、施設等に行ったほうがいい。

成績優秀な子供であり、頼れる親がいないなら、国公立大学では学費減免だの何だのを受けられるから、大学進学を諦める必要はない。

あと、

親元にいればほぼ確実に身体・精神共に壊されるが、

施設の人には いい大人がいるかもしれない。悪い大人もいるだろうが、少なくとも自分の親よりはきちんと暮らしている、そんな大人に出会える確率は高い。

そして子供は、できるだけ、いい大人を見て育ったほうが良い。

親を残していくのは心配かもしれないが、よく考えてみろ。

大の大人がどうすれば自分自身を幸せにできるのか、という点については、本来は彼ら自身が考え行動すべき事であって、子供である君がそこまで背負うのはおかしい。

その意味で、

親元に残るというかつての私の判断は、どうやら間違っていたらしい。

勿論、判断ミスのままで終わらせたくはないが、いずれにせよ、どう願ったところで軌道修正は一朝一夕では済まないから、同じ苦労はお勧めしない。

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Saturday, 08 December 2007

アスペルガーの母VSギフテッドの叔母

管理人の親戚には、何人かギフテッドがいる。先日の話に出てきた叔母(母の妹)も、一応、その一人だ。

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Tuesday, 04 December 2007

自分のこれまでを平たく言うと

平たく言うと自分のこれまでは、

①結婚前に実親の看護で既に燃え尽きてしまったような、

②あるいは統合失調と神経症の中間のような、

③というか今風の診断でいうと境界性人格障害のような、

そんな母親の元に生まれて、かなり大変な幼少期・青年期だった。(平たい説明か?これ)。

母の心の病については、まだ私が幼い頃、父が説得して、二度ほど精神科に通わせたことがある。二度ともお医者様にサジを投げられてしまい、治療にならなかったのだが。

お医者様いわく、

「本人には自分が病気だという意識がないし、治そうという意思が全くない。しばらく心を休ませましょう、という理由でなんとか服薬を納得させながら、問題意識を持たせようと話をしてみたが、できない。あきらかな自傷他害がない状態で、これ以上は治療を強制できない」という理由だ。

以来、家族で問題を抱え込み、面倒を見ることになった。

「家族で」…と言っても、

当時のわたしの家では既に父母の仲が崩壊しきっていたので、父は単身赴任という名目で逃げ出してしまい(現地に女性も作り)、当然、妻のケアなどせず、

兄は兄で、まだ全く物心が付いていなかったので、

実質的に、当時まだ10にもならない管理人が面倒を見るしかなくなった。

母のようなタイプの病人を看る場合、距離のとり方が難しく、下手に巻き込まれると専門家でも危ない…というのは良く知られていることだが、まさにその通りで、

当時から、母とは意識して距離を取ることを心がけていたわたしが母から「冷血」「死んだほうがいい人間のクズ」呼ばわりされるのは当然の成り行きだったし、逆に、母のカウンセラー役を務めていたわたしが母から「天使のようだ」の何のと呼ばれ、懐かれ、ベタベタつきまとわれたのも自然なことだし、

やがて、私が殆ど燃え尽きそうになったのも、自然なことだった。

現在でも母は、かなり地に足のついていない人だが、少なくとも『少し目を離すと自殺しそう』という状態ではなくなったし、露骨な妄想に駆られることも明らかに減った。傍目には幸せそうな、ごくまともでしっかりした専業主婦にさえ、見えるようになったほどだ。

これが長年の努力の賜物か、あるいは単に、母がイイ感じに枯れたお陰かは不明だが、ようやく私が自分の進路を選べる状態になったのは確かだ。

社会人が勉強するのは大変だが、少なくとも、一生勉強できないよりは遥かに良い。

だが、世間からみれば私達は、「ごくまともな、しっかり者の母親」と、「いかにも今時の、ふわふわした、いい年をして夢を追いかけているコドモ」なのだろう…と、時々思う。

母の面倒を見た子供時代は、かつての自分がそれなりに納得して選んだ道だが、こういう見方をされることは楽しくないし、納得が行かない。元々この手の事柄には誤解が付き物だし、容易に誤解を解消できるような性質の話でもない、とは言え。

母については、過去の困った記憶がまだら状に抜けているらしく、どちらかというと、上記の世間と同じような見方で私をみているので、正直言って、ときどきウンザリする。

過去を知っている親戚がいて助かるのは、そういう時でもある。

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Sunday, 02 December 2007

「あれで無事に育つのかと心配していた」

母方の親戚と連絡を取っていること自体は良いのだが、時々複雑な気分になる。

母が実家とはほぼ絶縁状態とはいえ、近場に住む親戚は、ときおり我が家を訪ねて、それなりに事情を知っている。

その中には私の母よりも20歳ちかく年上で、かつては母の母親代わりを務めていた人もいる。

彼女らにとって私の母とは、かつて戦時中に、栄養失調に由来する病気で、可愛い盛りのニ歳で死なせてしまった妹のあとに、戦後ようやく無事に生まれて無事に育った、大事な妹だ。

戦後の食糧難に、兄たちは空気銃その他で小動物を捕まえ、姉達は近郊の農家に頭を下げて回り、みんなで駈けずり回るようにして食料を集めて、母に食べさせ、育てた。

母はあまり痛切に感じていないようだが、基本的に、物凄く愛されている。

私自身の母への視線を「あほだけど可愛い、可愛いけど困った人」だとすると

伯母達の母への視線は

可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い ちょっとアホだけどああ可愛い可愛い可愛い勉強もできるし見た目もかわいいしセンスもいいし文句なしああ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い …ってアンタ、あたしたちがこんなに可愛い可愛いっつってんのにいつまでスネてんのよ!!!でも可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いああ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いほんとに可愛い  

という感じだ。

(戦後世代で色々と淡白な母にとっては、少々暑苦しいのかもしれない、と今思った)

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閑話休題、

彼女らは管理人のことも好いていて、私自身でさえおぼろげに覚えているに過ぎない昔の出来事を、かなり詳細に覚えていて、そのことに、未だに心を痛めていてくれたりする。

自分の幼少期の悲惨さを、他人の口から聞くのは、複雑な気分だ。

特に戦時中の悲惨さを知っている人からさえも悲惨と認定されるような幼少期だったのか、と考えると、判ってはいたのだが、愕然とする。やはり心のどこかで(自分の過去ではあるが)嘘であって欲しい、と思っていた部分があったのだと思う。

ただし、はっきりと判って安心できたことがある。

それは、自分の幼少期のような毎日は世間一般から見れば「苦労」であり、あるいは「悲惨」であり、事によっては「悲劇」とさえ言えるらしいこと、

自分の主観に過ぎないと思っていた「生き地獄」という感覚が、決して大げさなものではないらしい、ということ、

一部の人が知ったかぶりを言い張るような「みんなそれ位苦労している」「普通でしょう」「もっと苦労している人は沢山いる」というような甘っちょろい状態では、あまり、ないらしい、ということだ。

それらを明確に認識できたのは良かった。ちょっとフラッシュバック気味だが。

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今回、34年間抱え込んできた内輪の恥を表ざたにしたのは、自分の器量不足のようで恥じ入ること頻りだし、

(このブログでもそうだが)過去について一々泣き言のようなことを言うのは本来なら恥ずべきことだと思うのだが、

わざわざ恥を晒してまでも「自分の過去は悲惨だ」と認識することに、何の利益があるか?というと、

あの生活が、世の中では決して「普通」でも「常態」でもない、ということを確認できたことにある。仮にあれが普通だとしたら、それこそ、この先「普通」に生きていても、良い事などないだろうから。

自分の苦労が割とありふれた苦労であることは違いないにせよ、少なくとも、「時々来る大災害」程度には珍しい非常事態だったのだろう。

大災害の合間には平穏な日常があるように、私の人生にも、もしかすると、平穏な日常というのは存在しうるのだろう。

見苦しいのを覚悟で昔の愚痴など晒しながら、私はそれだけを、確認したかったのだ。

逆に、あれが悲惨なのだとすると、普通の人生というのは、楽しいに違いない。そう思うと少しは、生き延びた甲斐があるのかもしれない。まあ、もともと私は

あれしきで死ぬほど雑魚じゃないが(笑)

ともあれ、ちょっと悲しいにせよ、すっきりしたのは確かだ。

私には伯母たちがいて、運が良かった。

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