母方の親戚と連絡を取っていること自体は良いのだが、時々複雑な気分になる。
母が実家とはほぼ絶縁状態とはいえ、近場に住む親戚は、ときおり我が家を訪ねて、それなりに事情を知っている。
その中には私の母よりも20歳ちかく年上で、かつては母の母親代わりを務めていた人もいる。
彼女らにとって私の母とは、かつて戦時中に、栄養失調に由来する病気で、可愛い盛りのニ歳で死なせてしまった妹のあとに、戦後ようやく無事に生まれて無事に育った、大事な妹だ。
戦後の食糧難に、兄たちは空気銃その他で小動物を捕まえ、姉達は近郊の農家に頭を下げて回り、みんなで駈けずり回るようにして食料を集めて、母に食べさせ、育てた。
母はあまり痛切に感じていないようだが、基本的に、物凄く愛されている。
私自身の母への視線を「あほだけど可愛い、可愛いけど困った人」だとすると
伯母達の母への視線は
可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い ちょっとアホだけどああ可愛い可愛い可愛い勉強もできるし見た目もかわいいしセンスもいいし文句なしああ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い …ってアンタ、あたしたちがこんなに可愛い可愛いっつってんのにいつまでスネてんのよ!!!でも可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いああ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いほんとに可愛い
という感じだ。
(戦後世代で色々と淡白な母にとっては、少々暑苦しいのかもしれない、と今思った)
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閑話休題、
彼女らは管理人のことも好いていて、私自身でさえおぼろげに覚えているに過ぎない昔の出来事を、かなり詳細に覚えていて、そのことに、未だに心を痛めていてくれたりする。
自分の幼少期の悲惨さを、他人の口から聞くのは、複雑な気分だ。
特に戦時中の悲惨さを知っている人からさえも悲惨と認定されるような幼少期だったのか、と考えると、判ってはいたのだが、愕然とする。やはり心のどこかで(自分の過去ではあるが)嘘であって欲しい、と思っていた部分があったのだと思う。
ただし、はっきりと判って安心できたことがある。
それは、自分の幼少期のような毎日は世間一般から見れば「苦労」であり、あるいは「悲惨」であり、事によっては「悲劇」とさえ言えるらしいこと、
自分の主観に過ぎないと思っていた「生き地獄」という感覚が、決して大げさなものではないらしい、ということ、
一部の人が知ったかぶりを言い張るような「みんなそれ位苦労している」「普通でしょう」「もっと苦労している人は沢山いる」というような甘っちょろい状態では、あまり、ないらしい、ということだ。
それらを明確に認識できたのは良かった。ちょっとフラッシュバック気味だが。
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今回、34年間抱え込んできた内輪の恥を表ざたにしたのは、自分の器量不足のようで恥じ入ること頻りだし、
(このブログでもそうだが)過去について一々泣き言のようなことを言うのは本来なら恥ずべきことだと思うのだが、
わざわざ恥を晒してまでも「自分の過去は悲惨だ」と認識することに、何の利益があるか?というと、
あの生活が、世の中では決して「普通」でも「常態」でもない、ということを確認できたことにある。仮にあれが普通だとしたら、それこそ、この先「普通」に生きていても、良い事などないだろうから。
自分の苦労が割とありふれた苦労であることは違いないにせよ、少なくとも、「時々来る大災害」程度には珍しい非常事態だったのだろう。
大災害の合間には平穏な日常があるように、私の人生にも、もしかすると、平穏な日常というのは存在しうるのだろう。
見苦しいのを覚悟で昔の愚痴など晒しながら、私はそれだけを、確認したかったのだ。
逆に、あれが悲惨なのだとすると、普通の人生というのは、楽しいに違いない。そう思うと少しは、生き延びた甲斐があるのかもしれない。まあ、もともと私は
あれしきで死ぬほど雑魚じゃないが(笑)
ともあれ、ちょっと悲しいにせよ、すっきりしたのは確かだ。
私には伯母たちがいて、運が良かった。
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