« タンパク質の異常な振る舞いって面白いですよね | Main | 話すネコと言葉 »

Saturday, 19 February 2005

勉強が好きでも、いじめが無くても、学校はトラウマ

少し前、新聞を読んでいたら、
日教組の集会の発表で
「宿題を積極的に出せば学力低下を防げるのでは?」
というようなことを言う方が居たらしかった。
ウヨクではない私としては、
彼らに恨みは無いのだが、

身体が震えだす一歩手前の恐怖を覚えた。
学校が心的外傷になっているかのように。
そして、
この地方に生まれてよかったと、運命に感謝した。
ここでは、小学中学を通し、宿題が出ることが、全く無かったからだ。
だから、放課後は思い切り遊ぶことが出来た。

私が公的な集団教育を受けたのは、
5歳での保育園入園以降である。
個々の児童の発達や興味やらを、ほぼ丸々無視したカリキュラムだの
眠くなくても画一的に横にならされる「お昼ねタイム」だのに驚いたが、
それでも、好きなことを考える余裕程度は残っていた。

保母さんたちも、こんな私と適当に付き合ってくださった。
たとえば、グラウンドに出来た霜を見て私が
「空気中の水蒸気が、」だのと解説したり、
海外のクーデターの話をして
「イランでホメイニ師がどうのこうの」と語りはじめても、
時々聞き手となってくれた。
ありがたいことだ。

さて、4~5才当時大脳生理学にかぶれていた私は、
人間の脳の働きについて、幾つか仮説を立てていて、
その日までに新聞やテレビ、本や雑誌で仕込んだ学説を
頭の中でこね回しながら、
自分の仮説と戦わせつつ、
人間の原始的な部分がばっちり残っている級友たちを眺める保育園生活を、
わりと楽しんでいた。
それまでに読み齧った児童心理学の学説が、かなり適用できるのを見て、
人間も例外なく動物なのだな、と実感したり、などと。

小学校に上がるとき、実は期待していた。
それまで独習で、大して勉強しておらず、
大半の時間は野山や川での遊びに没頭していて、
内心「何とか生活を変え、勉強に時間をさかなくては」と焦っていたから、
1日何時間も、高等教育を受けたプロの教師のもとで、
学問と、否応なしに向かい合う時間が出来るのは、
大歓迎だ、と思った。
当時真剣に学問の道を夢見ていた、私には。

当時、今もだが、私の心の中の知識への情熱は、
自分でもこのまま身を滅ぼしてしまうのではないかと
恐怖を覚えるほど激しかった。
(なにせ、一旦本を読み始めると、
空腹でめまいを起こしても読むことを止められない。
手元の本を読みつくして、初めてストップできる。)

優れた学者になりたいなら時間は本当に大事だ、と思い、
一分でも多く知識の習得に割いて、
一日も早く、自分の頭の中にある仮説を存分に検証できる人間になりたかった。
研究をしたかった。

学校は、悪夢だった。
先進的で自由な雰囲気の、良い小学校で、
無邪気なクラスメイトと、
みなから愛される人格の優れた担任の先生に恵まれて、
それでも、地獄としか言いようが無かった。

クラスメイトと日常会話すら成立しないのも嫌だったが、

当時の気分を例えて言うなら、
オリンピックを夢見る、陸上競技の得意な若者が、
国の都合で何故かベビーサークルに囲い込まれ、
貴重な選手生命のうちの9年間を、
ハイハイとタッチとアンヨの練習で過ごすことを強制されたならば
かくやありなむ、という凄まじい焦燥感だ。

私は自分がそのとき、知識を吸収する力でも
情熱と集中力でも、
今後の人生で二度と来ない貴重な時期にいることを、知っていた。

それなのに、子供の力を伸ばす事を主旨とする学校で
暗黙裡に要求されたことは、

育ってはならない、
力を伸ばしてはならない、
遠い将来、許される日が来るまで、
今後は、この、身を焦がすような知識への情熱を
上手に押し潰して、
自分の心の悲鳴などには耳を傾けず、
黙って机に座り、独習などするな、と。
美しい戸外に目をやることすら、非難すべき事とされ、
考えにふけることも落書きも、はたまた瞑想もしないのが理想で、
(だから、興味のある学問の仮説を思いついた時に、
みすみす忘れ去っても気にするなということ)
人生が無為に過ぎることなど一切気にするなと、
いう苦行だった。

仮に、解放された下校後に独習しても、
どうしても翌日の授業中に(退屈の余り)その内容を
反芻して没頭してしまい、見た目の態度が悪くなり、
精神的にも辛くなるので、
避けたほうが良いことにも気付かされた。

落書きでも徘徊でも、自由にやれば良かったのかも知れない。
ただ、私は自分が皆や、皆の父さん母さんから
憧れられ、目指される存在であることに気づいていた。
尚且つ、皆にとって、今の勉強が致命的に重要なのも知っていたから
(何せこれを済まさないと、他の皆は、文盲のままなのだよ!)
反乱の主導者になる気は無かった。
・・・自分で選んだ、仕方の無い事なのか?

「作業中、虹が綺麗だな、と思って顔を上げた。
それだけで、独居房3日の刑。
3日間俺は、虹が見られたから良かったんだ、
虹が見られたから良かったんだ、と唱え続けた」
「もうあんな、くそみてえな所には戻りたくねえんだ」
といった様な台詞が、
西原理恵子の漫画「ぼくんち」に
元服役囚キャラの発言として書かれていたが、
私にとって学校とはそういう所だった。

出所者が、娑婆に戻った後も刑務所の近辺を避けて回るように、
正直言って今も、大学院に行くことさえ怖い。

私が小学1年の終わり頃に起こした、前述の自殺未遂は、
こうして学校で、自分を虐げざるを得なかった日々の、
当然の帰結だったのかもしれない。
黒板を見るだけで頭が重くなる。
家に帰っても、自分が将来何をしたいのか、全く思い出せなくなった。
授業中に無理やり麻痺させた思考と感覚は、やがて元に戻らなくなり、
苦しくてたまらないのに、具体的に悩むことが出来なくなった。

食べ物をおいしいと思わなくなり、
美しい風景や草花に心を動かされることも無くなり、

感情を押さえ込み続けた所為か、
喜怒哀楽のうち怒と哀だけが突出して、
些細なことで家族と衝突するようになった。
なのに自分が何に怒っているのか、悲しんでいるのか、
把握できなくなっていた。

髪を抜き、わざわざ深爪をし、外からは着衣で見えない部位の皮膚を選んで
カッターで切り、針を刺して血を流す子供になっていた。

そういう異常な精神状態に陥ることでようやく、
日本の教育が私に課したテーマ
「汝、勝手に成長する無かれ」を達成できたのだった。
こういう方針を立案した人は、
わたしが、望みどおり物言わぬ子羊となったことを、
ちゃんと喜んでくれただろうか。

こんなに苦しくて、死なないようにするだけで精一杯でも、
望みもしない好成績を挙げている限り、
例え7歳で自殺を図ろうが、
あの、人の良い先生も家族も(彼は私が自殺を図ったことを知っていた)、
全ての人が私の苦痛に一言の言葉すらかけず、放置し続けたのだった。
彼らの頭の中では、子供は悩みの無い生き物で、それ以外の現実は
見たくないのだろうと、私は想像した。

道端の石くれになった気分だった。

何年も経って、高校などで
カリキュラムにそれまでの知識に無い部分が出てきても、
勉強するのが怖くて、腰が引けてならなかった。
やれば自分が、あの凄まじい孤独、
あたかも摩天楼の屋上の避雷針の先端で、雨風に晒されながら一人立ち竦むような孤立状態に
戻るのが判っていた。

孤独それ自体は、さほど怖くない。
何より怖いのは、子供の頃に私の存在を、
ありえない存在として、認知しなかった「ここ」、
人を大事にするという発想を絶対的に欠く「ここ」で、
これから私が大人として本来の力を発揮したところで、
幸せに生きていけるとは思えなかったことだ。

1年少し前、障害者職業センターで、
職業相談の最後に簡易知能検査を受けた事がある。
元来が知的障害者が主な対象の試験なので、
IQ150が計測可能の上限だった。
結果を見て、私には屈辱的な数字だ、と呟いたら、
職員の人は顔をこわばらせて「ありえません」と呟き返した。
ありえないと言われても、わたしは、確かに存在するのですが。
あなたの目の前に座って、余りにも確かに息をしながら。

「日本で特許を出願すると、しばしば
「日本人にこんな発明が出来るはずが無い」
といって却下されるので、やむなく米国などの海外で出願して、
結果、大発明とされるケースがよくある」
なんていう一昔前のコネタが、どうしても頭を離れなかった。

旧帝大を出て宮仕え生活に入るレベルの、
程よい毒の無い「優秀さ」までしか、
この国は、許してくれないんじゃないだろうか、と。
傲慢な響きの発言なのは、判っていますが・・・。

学問に集中するとバーサーク状態に入る私には、
程よい存在になれる自信は、全く無かった。
(余談だが、IQからすると、
私は健康な精神状態で普通に日常を送っていれば、
学力偏差値では85-90位に
自然に収まるイキモノ、らしい。
それ以下だと、不適応状態、どこか調子が悪いということ。)

程よくならなくても良い、と、覚悟を決めたのは、つい数日前だ。
あまりにも無駄な尽力だと気づいたからだ。

(末筆になりますが、
かつて、大学で、オックスフォードに院留学したいといった私の為に、
痛めた首の激痛をこらえてまで推薦状を書いて下さった
C老師に、遅くなりましたが、心から春節のお祝いを申し上げます。
病気のため進学できず、お心遣いを無駄にしてしまったことへの
お詫びも、ここで申し上げて良いでしょうか。

ご無沙汰していて、信じて下さらないかも知れませんが、
老師の温かいご恩を忘れた日は、本当に一日足りと有りません。
未熟な私が老師にお掛けしたご迷惑を思い出して、心が痛まない日もありません。

ご無沙汰しておりますのは、
この感謝の気持ちをうまく言葉にしたいと思いながら、
言葉が器用ではない私には、決して上手に表現できないからです。
お汲み取り頂けたらと、願うばかりです。

老師に御教示頂いた、「興味を一つに絞りなさい」というお言葉、
ようやく、実行することが出来ました。
有難うございます。
今年もお健やかに過ごされますよう、遠方よりお祈りいたします。)

|

« タンパク質の異常な振る舞いって面白いですよね | Main | 話すネコと言葉 »

Comments

少し立ち寄って、記事を読ませていただきました。
境遇がちょっと似ているなと思ったので、思わず書き込みをしました。

僕も大病を患い、ようやく回復したのは20代の終わりでした。その間、進学の夢も立たれ、いろいろ世話を焼いてくれた大学の恩師も48の若さで急逝されました。
その後、自分が何をしたら良いのか考えていたのですが、まあ、死ぬまでに一度、どこかの大学院で自分の専門分野を勉強できればいいやという結論になりました。
平和ボケした日本の学生よりは、世界中の途上国から集まった留学生と議論したほうが楽しかろう、それならば海外の大学にいこう、と現在語学の訓練中です。

自家製味噌や動物の死、たんぱく質の話など、他人事とは思えないのですが、まあ、こちらの思い込みでしょうね。

もしお気にさわらなけば、また立ち寄らせていただきます。

Posted by: tabi | Tuesday, 22 February 2005 at 12:56 PM

tabi様、この度はお立ち寄り有難うございます。
「他人事とは思えない」ですか・・・!
私などがブログを始めて、誰かがどこかで読んで下さっている事実だけで驚きですが、
共感までして頂けるとは・・・何とも嬉しい限りです。
tabiさんのページも拝見させて頂きますね。
今後とも、何卒宜しくお付合い下さい・・・。

Posted by: じゃすみん | Thursday, 24 February 2005 at 12:05 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74007/2991112

Listed below are links to weblogs that reference 勉強が好きでも、いじめが無くても、学校はトラウマ:

« タンパク質の異常な振る舞いって面白いですよね | Main | 話すネコと言葉 »